和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『 そこんとこ 』

2023-02-10 | 本棚並べ
「前庭に集まった所員たち」という一枚の写真。

会田雄次、桑原武夫、貝塚茂樹、藤枝晃、樋口謹一、梅棹忠夫の6名が
玄関脇あたりに立って一服している姿が写っている。
 ( p103 カタログ「梅棹忠夫 知的先覚者の軌跡」国立民族学博物館 )

うん。この写真を、また取り出して見ております。
写真下には、1967年2月と日付がありました。

梅棹忠夫著「知的生産の技術」は、何回読んでもわからない
わたしなのですが、藤本ますみ著「知的生産者たちの現場」(講談社)
を読み。霧が晴れて足元が見えてきた感じがして嬉しかったのでした。
はい。それを再読していると、また一歩を進められる感じになります。

この藤本ますみさんの本のはじまりがふるっています。

「 1966年1月11日、一通の速達がわたしのところに舞いこんだ。
  そのころ、わたしは福井県勝山保健所に栄養士としてつとめながら、
  福井市郊外のアパートに住んでいた。

  だれからきたのかと封筒をうらがえすと、
  差出人は梅棹忠夫先生であった。
  
  この、ちょっと風変わりな、ひらがなタイプの手紙が、
  わたしを知的生産者たちの現場に近づけることになった。 」

はい。先の写真の面々は、1967年ですから、ちょうど藤本ますみさんが
「知的生産者たち」の現場にはいったころの顔ぶれということになります。

藤本ますみさんの本には、ちょっとした挨拶をかわす会田雄次氏がいたり、
それから、今日引用したかった樋口謹一氏が、袖触れ合う形で登場します。

では、樋口謹一氏が登場する場面。

「 おなじ西洋部の樋口謹一先生の研究室へうかがったときのこと、
  用件がすんで帰ろうとしたら、樋口先生はわたしの顔をみて
  さりげなく、こんなことをつぶやかれた。
  
 『 梅棹さんとこは、常勤の秘書が二人もいて、たいへんですなあ 』 」
                             ( p271 )

「 たしかに樋口先生のいわれるような秘書のつかいかたは、
  大学の研究室ではめずらしいことではない。

 『 この本の何ページから何ページまで、コピーしてきてくれ 』

 『 この原稿、清書して、出版社に送っておいて。しめきりは
   何月何日やから、それにまにあうように速達で      』

 『 あさってまでにこれをタイプして、コピーは三部とっておくように 』

 『 ちょっとタバコ買ってきて 』 ・・・・

  こんなふうにして、秘書を動かしている先生はたくさんいらっしゃる。
  樋口先生はそういうやりかたを念頭において、
  梅棹さんはたいへんと思われたのだろう。

  秘書が二人もいて、伝統的なやりかたでこまかい仕事の指示を出していたら、
  樋口先生のいわれたとおり、ご自分の仕事ができなくなるにちがいない。」


このあとに、『 指示はしない 』という箇所がでてきます。
はい。今日は、この箇所を引用して反芻してみたかったのでした。

「 梅棹先生の場合は、新しい仕事をつぎからつぎへとひきうけて
  研究室へもちこんでこられたが、仕事の趣旨と方針を説明したら、
  あとのこまかいことはそれぞれの担当者にまかせてしまう。

  やりかたは自分で考えよというわけだ。秘書にかぎらず、
  人をつかうときの基本的態度として先生がつらぬかれていたのは、
 『 指示しない 』ということだった。・・・・・

  人は、指図によってはたらくときは、いわれたことしかしないし、
  なかなかこころよくはたらけないものである。それよりも、
 
 『 これこれのことをしなければならないが、どうすればうまくいくか、
   自分で考えてやってください 』といわれたら、

  元気が出て、『 やりましょう 』という気が起ってくる。

 ・・・・その結果、いくぶん疲れたこともある。ただし、
 その疲れは嫌なものではなかった。好きでやっていたことだから、
 精神的には充実したよろこびがあった。

 先生がいわれた言葉を思い出す。

 『 人間はだれにでも、能力はあるにきまってる。
   それをどうやって発揮させるか、そこんとこが
   わかっていない人が多いのではないかなあ 』  」( ~p275 )


はい。『 そこんとこ 』って?

藤本ますみさんの本を最初から読めば、
いわく言い難い『 そこんとこ 』が、順を追ってわかってきます。
再読すると、書き残してくれたことに、感謝したくなる一冊でした。


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2 コメント

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Unknown (1948219suisenしていたのた)
2023-02-10 11:19:20
私事ですが、私の叔母は天理教を信仰していましたので、私はずっと天理時報という新聞を購読させられていました。その頃の記事に梅棹先生の秘書の方の連載が載っていて毎週楽しみに読ませていただいたものでした。細かい内容は忘れましたが、梅棹先生のお考えとかが窺われて、大変興味深かったです。今から40年以上も昔のお話ですが、このことは、以前、こちらでも書かせていただいたかもしれません。
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こんにちは。 (和田浦海岸)
2023-02-10 11:38:53
こんにちは。水仙さん。
コメントありがとうございます。

はい。覚えておりました。
以前、コメントで伺いました。

細かい箇所が気になって、
もう一度本をひらくのが、
何だか、多くなりました。

新しく本を読んでいないからかもしれないなあ。
返信する

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