和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

じゅうぶんに案の練って

2024-07-04 | 先達たち
昨日の水曜日は、久方ぶりに東京へ。
高速バス移動です。東京駅からは歩くのですが、
もう、汗だくだく。まあ、汗かきなのです。

バス移動では、ほとんど寝ています。
けれど、たまに起きているときのことを思って
文庫本を本棚からとりだして持ちました。
大村はま「新編教えるということ」(ちくま学芸文庫)。
はい。行きにすこし開きました。

大村はまさんは、戦後に中学校の国語の先生となります。
戦後すぐですから、教科書も満足にありません。

「 私はその日、疎開の荷物の中から新聞とか雑誌とか、
  とにかくいろいろのものを引き出し、教材になるものを
  たくさんつくりました。約百ほどつくって、
  それに一つ一つ違った問題をつけて、
  ですから百とおりの教材ができたわけです。

  翌日それを持って教室へでました。そして
  子どもを一人ずつつかまえては、
『 これはこうやるのよ、こっちはこんなふうにしてごらん 』
  と、一つずつわたしていったのです。

  すると、これはまたどうでしょう。
  教材をもらった子どもから、食いつくように勉強を始めたのです。
  私はほんとうに驚いてしまいました。・・・・・・

  そして、子どもというものは、
『 与えられた教材が自分に合っていて、
  それをやることがわかれば、こんな姿になるんだな 』
  ということがわかりました。
  それがない時には子どもは『 犬ころ 』
  みたいになることがわかりました。・・・・

  隣のへやへ行って思いっきり泣いてしまいました。 」

さてっと、そのあとの方に、こんな箇所がありました。

「 じゅうぶんに案の練ってあるいい話には、不思議とよく聞いてくれます。
  ちょっと材料がユニークでないとか、構成が悪いと自分で思う話のときには、
  ろこつに子どもたちは反応して、ガサガサするとか、聞いていないとか、
  おしゃべりするとか、何かをやります。 」( ~p78 )


ああ、そうかと思いました。
私は7年前にお仲間の防災士の方に、思うことを書いたことがありました。
それらをまとめた「『安房震災誌』を読む」(平成29年4月)を数人の方に、
配布したことがあります。それはそれきりそのままになっていたのですが、
昨年のあるアンケートで

『  関東大震災の内容をくわしく講習してほしい。
    地域の受災状況をくわしく知りたかった。  』

というコメントをいただきました。そのコメントに惹かれて
あらためて『安房震災誌』と『大正大震災の回顧と其の復興』を
読み直したら、あら不思議いろいろなことがつながってゆきます。

たとえば、今年の1月1日に起きた能登半島地震の新聞記事をみていると、
百年前の関東大震災と、そして百年後の能登半島地震がつながってくる。
百年前の首都発の流言蜚語が、現代マスコミの饒舌さとつながってくる。

今年の8月28日(水曜日)に1年に1時間だけの講座をひらく手筈なのですが、
さてっと、構成が悪くて台無しになってしまうかどうか、
ユニークさを気取って、鼻持ちならない講座になるのか、
まあ、『 いい話 』は、はなから、期待はできなくとも、
『 じゅうぶんに案の練ってある 』話ができますように、
と今から心してゆくことにします。

 とまあ、そんなことをバスで思いながら居眠りしてました。

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