和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

京都いきあたりばったり

2024-06-16 | 絵・言葉
淡交社に
「ほんやら洞と歩く京都いきあたりばったり」
中村勝(文)・甲斐扶佐義(写真)・2000年。
という写真集に文章をつた体裁の本がありまして、
何となく気になる写真がならんでいます。

ふだんの京都で出くわした町の人たちが写っています。
ときには、通行人の中に、
「 自宅近くの今出川寺町付近を散歩する桑原武夫 」(p106)
「 出町付近、秋野不矩さん 」(p107)
というのが混じっていたりします。

この本をひらくと、今でもそこに居るような息づかいが感じられる。
そんな写真が並んでいるので、いつでも文は読まずに写真を見ます。

気になるので古本で甲斐扶佐義の写真集があれば、
そうして、それが安ければ買うことにしています。
今回は、甲斐扶佐義著「ほんやら洞日乗」(風媒社・2015年)を
手にしました。こちらは、ブログの文章を集めたような一冊です。
そしてオマケのように写真が載っているのでした。
そのなかに、秋野不矩さんの息子さんの写真が載っている。
その下の解説を引用。

「 2005年3月 アキノイサム展
  母・秋野不矩さんは50歳代からインドに魅せられ、
  晩年はインド、アフリカと描いた。60歳代に
  2度火事にあったが、それからの仕事が凄いのだという。 

  亥左牟さんは不矩さんについてインドに渡り、
  以後、10数年世界各地を放浪しながら絵を描いた。
  90年代から我が家によく泊まり、ほんやら洞でも
  何度か個展(弟の子弦さんも)を開き、
  不矩さんも観に来た。・・・   」

はい。写真はその個展の会場のようで、
テーブルに巻物のような絵をひろげていて、
それを眺めている人の中央に、身長が高くて、
ほっそりしていて、白いあごひげが胸までとどいている人が
説明はないけれども、イサムさんのようです。
はい。まわりの方が巻物のような絵をのぞき込んでいるのを
まるで、自分の内面を覗きこまれているような縮こまった姿です。

ここで、私はどうしたか(笑)。
そういえば、藤森照信著「建築探偵、本を伐る」(晶文社・2001年)
というのが読みたくなったのでした。この本は書評集でした。
発売当時の価格は2600円+税となっております。

うん。高価なので買わずにそのままになっておりました。
ネットで検索すると、送料込みで785円。
この機会に買うことにしました。

この本の中に、秋野不矩さんの2冊の本の書評が載っている。
というのを知っておりました。本で4ページほどの文です。
今回は、それを引用したかったのでした。
藤森さんの書評のはじまりは

「秋野不矩さんの絵について、司馬遼太郎は、
『 いきものがもつよごれを、心の目のフィルターで漉(こ)しに漉し、
  ようやく得られたひと雫(しずく) 』と、
 『秋野不矩 インド』の中で解説しているが、そのとおりだと思う。」

はい。ここから藤森さんの書評がはじまっておりました。

「どうして不矩さんの絵は『いきものがもつ よごれ』から
 自由なのかを考えた。」

「この謎の手掛かりは、『画文集 パウルの歌』に集められた
 文章の中に読みとることができる。昭和6年、弱冠23歳で
 帝展に初出品・初入選を果たし、そして翌年に出した絵は、

『 野良犬が荒野を彷徨(さまよ)って歩く図であったが、
  これは見事に落選し、私は失意の底に沈んだ。

  ・・・あばらも透けて見える野良犬は美の対象には
  認められなかったようだ。翌年は
  白萩の陰に湯浴みする少女で入選、
  その後落ちることはなかった。
  しかし『野良犬』が入選したならば、
  もっと自分の世界を追求してゆけたであろう。
  やはり落選せぬような絵を描くこととなり、
  残念に思ったことである 』

  どうも昭和6年の時点で、花鳥風月とは別の世界に引かれながら、
  しかし、踏み出すことは出来ず、戦後になって
  50歳を過ぎてからインドと出合い、ついに本当の
  我が道を発見した、ということなのだろう。・・・・・・

  実際に秋野不矩の日本画の前に立つと、
  インドの乾いた空気とよごれなき大地が
  紙の上にあやまたず定着しているのが分かる。
  絵の表面が、まるで風に流れる砂漠の砂のように
  サラサラしているのだ。・・・・   」(p144~147)

はい。このあとに日本画の『岩絵の具』を持ち出して、
藤森さんの書評は盛り上がってゆくのですが・・

『 日本画とは紙の上に広がる砂漠である  』

ということを書評の結論へと結びつけてゆくのでした。
何気なく、ここだけでも読めてよかった。この箇所は、
新刊の時に買ったとして味読できなかったに相違ない。





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2 コメント

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秋野不矩さん (きさら)
2024-06-17 10:56:18
秋野不矩さんの作品展が
20年程前に神戸で開催された時
観にいきました。

私は長年日本画を習っていますが
本当は油絵をやりたかったのに
その時 日程の合うのが 日本画しかなくて~

日本画の絵の具は 素晴らしいと思います。
岩絵の具と 水干絵の具の2種類を使うのですが
まるで マジックのように思えます。
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オリッサの寺院 (和田浦海岸)
2024-06-17 15:15:19
こんにちは。きさらさん。
コメントありがとうございます。

一度、秋野不矩美術館へ行きました。
静岡市天竜市にありました。
設計が藤森照信+内田祥士。

「秋野不矩美術館開館の際には、
 展示壁面に合わせて横7メートル
 にもおよぶ大作を制作している。」

のだそうで、それがオリッサの寺院でした。
美術館をつくりそれへと建物の絵を描いた。

ひろい部屋にそれは置かれ、
離れて見たり、端から端に
歩いてみながら見てました。
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