昨日の水曜日は、久方ぶりに東京へ。
高速バス移動です。東京駅からは歩くのですが、
もう、汗だくだく。まあ、汗かきなのです。
バス移動では、ほとんど寝ています。
けれど、たまに起きているときのことを思って
文庫本を本棚からとりだして持ちました。
大村はま「新編教えるということ」(ちくま学芸文庫)。
はい。行きにすこし開きました。
大村はまさんは、戦後に中学校の国語の先生となります。
戦後すぐですから、教科書も満足にありません。
「 私はその日、疎開の荷物の中から新聞とか雑誌とか、
とにかくいろいろのものを引き出し、教材になるものを
たくさんつくりました。約百ほどつくって、
それに一つ一つ違った問題をつけて、
ですから百とおりの教材ができたわけです。
翌日それを持って教室へでました。そして
子どもを一人ずつつかまえては、
『 これはこうやるのよ、こっちはこんなふうにしてごらん 』
と、一つずつわたしていったのです。
すると、これはまたどうでしょう。
教材をもらった子どもから、食いつくように勉強を始めたのです。
私はほんとうに驚いてしまいました。・・・・・・
そして、子どもというものは、
『 与えられた教材が自分に合っていて、
それをやることがわかれば、こんな姿になるんだな 』
ということがわかりました。
それがない時には子どもは『 犬ころ 』
みたいになることがわかりました。・・・・
隣のへやへ行って思いっきり泣いてしまいました。 」
さてっと、そのあとの方に、こんな箇所がありました。
「 じゅうぶんに案の練ってあるいい話には、不思議とよく聞いてくれます。
ちょっと材料がユニークでないとか、構成が悪いと自分で思う話のときには、
ろこつに子どもたちは反応して、ガサガサするとか、聞いていないとか、
おしゃべりするとか、何かをやります。 」( ~p78 )
ああ、そうかと思いました。
私は7年前にお仲間の防災士の方に、思うことを書いたことがありました。
それらをまとめた「『安房震災誌』を読む」(平成29年4月)を数人の方に、
配布したことがあります。それはそれきりそのままになっていたのですが、
昨年のあるアンケートで
『 関東大震災の内容をくわしく講習してほしい。
地域の受災状況をくわしく知りたかった。 』
というコメントをいただきました。そのコメントに惹かれて
あらためて『安房震災誌』と『大正大震災の回顧と其の復興』を
読み直したら、あら不思議いろいろなことがつながってゆきます。
たとえば、今年の1月1日に起きた能登半島地震の新聞記事をみていると、
百年前の関東大震災と、そして百年後の能登半島地震がつながってくる。
百年前の首都発の流言蜚語が、現代マスコミの饒舌さとつながってくる。
今年の8月28日(水曜日)に1年に1時間だけの講座をひらく手筈なのですが、
さてっと、構成が悪くて台無しになってしまうかどうか、
ユニークさを気取って、鼻持ちならない講座になるのか、
まあ、『 いい話 』は、はなから、期待はできなくとも、
『 じゅうぶんに案の練ってある 』話ができますように、
と今から心してゆくことにします。
とまあ、そんなことをバスで思いながら居眠りしてました。
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