和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

私は田舎者だから。

2021-12-27 | 先達たち
古本に「私の中の日本人・続」(新潮社・1977年)があった。
単行本200円なので買っておきました。

このなかに、河上徹太郎による「福原麟太郎」と題する
5頁ほどの文が入っています。うん。私はこの箇所だけを
30~40年ほど前に読んだことがありました。
「私の中の日本人 福原麟太郎」と題して、
何かのエッセイ集にはいっていたものでした。

(ちなみに、この特集は、『波』に各界の方々にこのテーマで、
  書いてもらったものを本にまとめられたものでした。)

この短文の中に今でも印象に残っている箇所がありました。
先生を語っているのですが、こんな箇所なのでした。

「芝居を作るのが作者や役者ではなく観衆であるやうに、
先生を作るのはお弟子である。
今の学生にはそんな能力を失はれてゐるのである。

さういへば吉田松陰が良師であったのは、
彼の資質もさることながら、久坂や高杉、
殊に入江久一、品川弥二郎が良い弟子だつた
からだともいへよう。」
 (「私の中の日本人・福原麟太郎」)

はい。この箇所は、分かったようで、分からない。
でも、印象にだけは残っていて、気になっておりました。
なぜ、こんなことを思い出したかというと、
うん。これが手掛かりになるかもしれない、
そう思える言葉と、最近であったのでした。

それは、モーリス・パンゲの本が
ちくま学芸文庫にはいった際に、
解説を書いた平川祐弘氏の文にありました。
ちょっと、その箇所を引用してみます。

「モーリス・パンゲさんは1929年フランスの中部モンリュソンで生れた。
エコール・ノルマン・シュペリュールの出身で1958年に来日した。

東京大学で教えたほか東京日仏学院長も勤めた。
その種のキャリヤーの人の中には早く本国の大学教授の
ポストに就きたい、という焦りにかられる人も見かけるが、
パンゲさんにはそうした人にありがちな日本蔑視や知的倨傲
がおよそ無かった。『私は田舎者だから』などと言った。

1968年に帰国し一旦パリ大学のフランス文学の専任講師となったが、
東大駒場の教養学科フランス分科の英才に教えた時の方が面白かった、
と感じた。それで1979年、人も羨むパリ大学の職を捨ててまた戻って来た。
 ・・・・・・・・

パンゲさんは日本文をほとんど読まない。ところがそのパンゲさんの
日本に関する英文や仏文の資料の取捨選択、そしてテクストの読みが
抜群に鮮やかなのである。歴史的事実のチェックも正確だが、
心理的特質の解釈はさらに秀逸なのである。

長年、日本の学生に接したことにより日本的オイディプスの
正体がはっきり浮かびあがって見えたのだろう。
本書を読んで、
日本文が読めずとも日本人の心理を正確に把握することは、
ラフカディオ・ハーンやパンゲさんのように
日本の学生と親しく接した人には可能なのだ、
ということを私は遅蒔きながら悟った。・・・・」

(p664 モーリス・パンゲ『自死の日本史』ちくま学芸文庫 )

うん。
「先生を作るのはお弟子である。
今の学生にはそんな能力を失はれてゐるのである。」

という、河上徹太郎氏の言葉が、今頃になって、
その理解の糸口が掴めてきた気がするのでした。
そうか、これを『遅蒔きながら・』というのだ。

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