月刊「Hanada」11月号届く。
平川祐弘氏の連載『詩を読んで史を語る』から
この箇所を引用。
「湿潤地帯では生物は黴のように自然発生的に自生する。
・・・・
『古事記』原文にはその生々しさが語感から伝わるので、
『 次に国稚(わか)く浮きし脂の如くして、
くらげなす漂へる時、葦牙(あしかび)の如く
萌え騰(あが)る物によりて成れる神の名は、
宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢの)神 』
という一節に、私は一篇の詩を感じる。
葦の芽の出るのを神格化した名前そのものの発音が面白い。
その妙趣が英訳文では、意味だけが蒸留装置で汲み取られた
かのように伝わるが、印象が希薄で味気ない。
詩的感動も水っぽくなってしまった。
蝉が殻から抜け出す場面に出くわしてじっと見つめた
子供のときの記憶があるが、それと同じような驚きが、
ウマシ・アシカビ・ヒコヂの神に出くわして感じられる。
竹林の中である朝、筍が生えていた、驚いて見つめる、
そんな感じが日本語で朗読すると追体験される。
ウマシは、心、耳、目、口に感じてはなはだ好し、の語で、
旨い、美味い、とも重なる。Pleasant以上にウマシは聴覚、
視覚、觸覺、味覚など五官のほとんどすべてに好ましく訴える。
『 ウマシ国ゾ、秋津島、大和国ハ 』と『万葉集』でも
用いられるウマシでもあるからだ。
『 ウマシ・アシカビ・ヒコヂの神 』と聞いただけでは
詩情をまだ感じなかった読者も、
『 ウマシ国ゾ、秋津島、大和国ハ 』と聞けば、
この七五七の短い日本語に詩情を覚えるのではあるまいか。 」
( p325~326 )
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