和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

バイキンマンの話。

2020-03-27 | テレビ
月刊Hanada5月号は、総力特集「武漢肺炎、日本は負けない!」。
うん。ひとつだけ紹介することに。
ブローガー藤原かずえさんの「テレビで政治運動を展開」
「詭弁、逆ギレ羽鳥モーニングショー玉川徹は何様のつもり」
P106~115。
コメンテーターのコメントを時系列で、活字におこし、
それに注釈をほどこしてゆきます。場当たり的な
テレビのコメントは、そのつど拡散して消えてゆくものと思いきや、
藤原さんから、まるで、古典の注釈の授業をうけているような、
日常的で時系列のきめ細さでもっての圧巻の指摘なのでした。
うん。読めてよかったと思っております。

つぎいきます。
月刊WILL5月号の巻頭随筆というのか巻頭コラム。
そこに日下公人の連載があります。
え~と。どこから語ればよいのか。
同じ雑誌に曽野綾子の「若者に『非常事態』の体験を」
という文もありました。
曽野綾子さんと、日下公人さんは
曽野さんが1931年生れ。日下さんは1930年生れ。
はい。お爺さんお婆さんの知恵を教えて下さっている。
ここでは、日下さんのコラムから、そのはじまりは

「何百年か昔、海外から病気が入ってくるときは港からきた。
アジアからの船と乗組員が病原菌をもってきた。そこで・・・
安政条約による開港地では、明治になってから検疫所が
つくられたのだった。その近くの医科大か専門学校の学生が
アルバイトに動員されたが、一体どんな病気が入ってくるのか
わからなかったから、時には命がけのアルバイトだったと言える。」

こうはじまり、田舎出の日下さんが、東京での下宿で
慈恵医大の学生との付き合いでじかに、知ることになります。
日下さんは、その経験を書いたあとに、自身が生まれる前の
母親のことを思い出しておられます。
うん。そこも引用しちゃえ。

「第一次世界大戦で日本が戦勝国のひとつになったとき、大蔵省の
神戸関税長は『これからは外国船が神戸にも入ってくる』と考えた。
・・そのときは女性の公務員がついていた方がよいと考えたのは
さすが神戸で、たくさんの女性が大蔵省を志願したが合格した
二人に母が入っていた。
しかし、たちまち熱帯病に感染して生死の境をさまよった・・・
と聞いたことがある。まだ結婚前だから私はこの世に生まれていない
・・・原因不明なままの一週間だが、そんな話を聞いていたので
何となく、流行病はいずれ治るとか、若ければ治るとか、
手を洗えとか、そんな思い出がわが家に残った。」

うん。2頁の文なのに、内容は豊富、できればね
全文読んでいただきたいのでした。
ここでは、あとは最後を引用。

「清潔とは、単に衛生用語ではなく、
心のもち方や日頃の生活態度や行為にまで
広げて用いられるのが日本である。

テストや試合でインチキをすると『キタナイゾ』といわれ、
くりかえすと『バイキン』といわれて、『ノケモノ』になる。

日本外交は相手国を『A級ノケモノ』とか、『B級バイキン』
とかに指定して広く世界に同調を求めるべきである。すぐやろう。

衛生には巨額の費用がかかる、ということもわかるだろう。」

はい。これが2頁の文の最後の箇所でした。

うん。バイキンといえば、アンパンマンに登場するバイキンマン。
そんなふうに、私の連想はひろがります。
板坂元著「発想の智恵表現の智恵」(PHP研究所)
という新書サイズの本が1998年に出ておりました。
ちなみに、板坂元氏は1922(大正11)年生まれ。
この本におもしろい場面がありました。
そこを引用。

「私が学徒出陣で入営したときの班つきの
『柳瀬軍曹殿』から法定伝染病の講話を受けた。

そのとき『コセチパトホシジリペ』と教わった。
それを今でも覚えている。コはコレラ、セは赤痢、
チが腸チフス。以下パラチフス、痘瘡、発疹チフス、
猩紅熱、ジフテリア、流行性脳脊髄膜炎、ペストの頭文字だ。

ほかには何を話されたかは忘れても、
この言葉だけは今でも覚えている。
柳瀬軍曹殿は漫画家の『やなせたかし』氏である。
・・・・」

はい。いま『バイキンマン』といえば、
日本中、誰でもが、知ってますよね。










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