昨日は、黒田三郎詩集「死後の世界」(昭森社・1979年)を
寝床にもっていってパラパラとめくっておりました。
うん。この詩集は薄く、余白が多く、ありがたい(笑)。
私には、この詩集がようやく読み頃をむかえたようです。
この詩集には、名前が出てくる。年齢が出てくる。
たとえば
田村隆一より僕はたった四歳しか
年長じゃあないのに
僕が三十五、六になったころには
もう四十歳だろうと田村に言われるし
四十五、六になったころには
もう五十歳だなあと言われる始末
これは詩「夜半の雪」のはじまりで、
その詩の、おわりの方には
裏の農家はしめっきりで人影も無く
僕は死んだ老婆のことを思った
八十何歳であったろう
五十年前のことも五日前のことも
みんなごっちゃにして話す老婆を相手に
いろり端で僕は煙りに巻かれたが
今はその僕が石油ストーブにあたりながら
四十年昔のことを思ったり
三年前のことを思ったり
過ぎてしまったことはすべて同じように
思い出すのだ
・・・・・・・
黒田三郎は、昭和55年(1980)61歳で亡くなっております。
黒田三郎の年齢といえば、こんな詩もありました。
・・・・
昨年の春 病院の個室から大部屋に移った時
合部屋の七十五歳の老人に
『旦那さん あんた七十幾つだい』と
きかれたことがある
病気でいっぺんにがくんと
二十歳も年をとったらしい
・・・・( 詩「日本の詩祭で」 )
わたしが、二十代の頃に、詩人は生きておられて、
わたしは、現代詩文庫「黒田三郎詩集」(思潮社)で、
詩集「ひとりの女に」「小さなユリと」を読みました。
昨日、詩集「死後の世界」をひらいていたら、
『夕暮れ』と題する詩があるのでした。
そういえば、詩集「ひとりの女に」では
「あなた」「僕」という言葉が詩のなかで繰り返されて。
詩の題にも「あなたは行くがいいのだ」「あなたも単に」
と使われていたりしたのでした。
詩集「小さなユリと」には『夕』がありました。
『夕方の三十分』『夕焼け』『夕暮の町が』という詩の題。
詩集「小さなユリと」のはじまりの詩は『美しい日没』でした。
さてっと、そんなことが思い浮かんできた後に、
詩集「死後の世界」の詩『夕暮れ』を全文引用。
仕事がうまく行った日は
夕暮れの風に
髪をなびかせて帰ると
あなたは言った
あなたの髪が勢いよく
今日も風になびいていますように
山居の荒れた庭には
わびしく
あざみの花がゆれている
東京をはなれてひとり
僕は嬬恋村の山居にいる
夜な夜な
虎が咆哮したこの咆哮庵も
今ではただひっそりとして
病後で一滴の酒も飲めない僕が
夕暮れの庭を眺めるばかり
虎どころか
一面に猫柳がはびこっている
はい。私はといえば、20代で読んだこの詩人の詩集が、
やっと、65歳を過ぎて読む味わいをむかえた気分です。