伊集院静氏が亡くなったと報道されている。
大変残念である。
昭和の時代から夏目雅子の夫で存在は知っていた。週刊誌その他でいい女にモテモテという記事をずいぶんと見た。その後、夏目雅子と死別した後で,阿佐田哲也のエッセイに名前が出てくるようになる。阿佐田哲也こと色川武大が存命時は、彼が書いたものをずいぶんと読んだ。奥が深かった。今でも「うらおもて人生録」は自分のバイブルだ。最初は芸能界系色男の伊集院静との結びつきは意外に思った。ところが、昭和末期に色川武大の本に登場する頻度が増える。イメージが違っていた。
伊集院静は夏目雅子亡き後かなり荒れた生活をしていたのが文章から読みとれる。酒に溺れながら地方を彷徨うエッセイを読むと,この人もうすぐ死んでしまうんじゃないかとずっと思っていた。事実、元TVプロデューサーで作家の久世光彦は文庫版「乳房」のあと書きで、不良の伊集院静はいつ死ぬのだろうか、私はその報せを聞くことがあるのだろうかと書いている。でも、久世光彦の方が先に亡くなった。
真っ当な人生を歩んでいる人にはご縁がない2人であろう。後になってバブル期とされる昭和の終わりに、自分は自堕落な生活をしていた。20代だった自分と同じような奴がいるんだなと妙に惹かれた。同時に、平成になってからも伊集院静の新作を追うようになる。2000年代を過ぎて週刊誌で伊集院静が人生訓を書いた本がベストセラーになる。本当かよと思わず吹き出してしまう。本人が照れくさいのではないか。日経新聞朝刊の連載小説も2作書いた。題材はサントリーの鳥井さんと夏目漱石だ。でも、この辺りのテイストはイメージとちょっと違う。
「愚者よ、お前がなくなって淋しくてたまらない。」という小説がある。いわゆる私小説だ。昭和の終わりの自堕落だった伊集院静の生活を書いている。これがむちゃくちゃおもしろい。3番目の奥さん篠ひろ子の許可も得て、前妻夏目雅子と知り合うきっかけや京都の名妓と同棲していたことも書いてある。モテモテだよね。でも、自慢気でない。今回改めて再読したが、自分にはいちばんしっくりくる。会話のリズムがいい。マジメ腐った男が書いてもこんなセリフは出てこない。
伊集院静が親しくしていた3人の破天荒な男がいる。スポーツ新聞の競輪記者、CMディレクター時代の後輩、出版社の編集者である。3人ともハチャメチャだ。「仁義なき戦い」で虫けらのように死んでいくチンピラみたいだ。いずれも亡くなっている。いい死に方をしたとは言えない。軽いフィクションであったとしても、ほぼ真実であろう。読んでいて、ムカつく気持ちすら出てくる3人だけど伊集院静はにくめない。一部、阿佐田哲也こと色川武大についても書いている。これは「いねむり先生」が本線だ。
「阿佐田哲也の競輪教科書」の本には、伊集院静が何度もでてくる。昭和63年(1988年)に週刊誌アサヒ芸能に連載されていたエッセイが基調である。週刊誌買って読んでいた。本の発行日が平成元年4月30日だ。4月10日に阿佐田哲也こと色川武大が亡くなっている。現在は絶版だけど、自分の書棚にはずっとある。昭和62年(1987年)に20代だった自分にとって大きな転換となるある出来事があった。その後、高校時代から麻雀本でお世話になった阿佐田哲也のエッセイを読み、初めて競輪場に行った。こんな世界があったのかと、時間があると行くようになった。
滝沢正光が圧倒的に強い時期で、中野浩一、井上茂徳とともに特別競輪の優勝を分け合った時代だ。青森で開催された昭和63年7月の全日本選抜に伊集院静が阿佐田哲也と一緒に行ったことが本に書いてある。ただ単に競輪を語るだけでなく、バクチ全般、人生についても語っている。仕事だけでなくあらゆることに通じる奥が深い名著だ。
その本の中で、伊集院静は井上茂徳から「競輪には先行型、追込み型はないんですよ。」と聞いたことを語っている。追込み型の帝王井上茂徳がいうので妙に納得した。昭和63年の競輪グランプリで、最後方から中野浩一の怒涛の捲りに乗って、マークの井上茂徳が鬼脚で差し切ったレースをまじかに見た印象が今でも映像のように残る。
競輪は推理してみるのが楽しく、のめり込んではいない。自分の主戦場は株だった。それでも、一度だけ1987年松戸記念の準決勝で正確な数字は忘れたが、16000円台後半の配当で5000円の車券を当てたことがある。アタマは山田英伸だった。払い戻しで厚い札束をもらい、誰かに襲われないかと心臓がドキドキした。とはいうものの勝っている方がマレだ。競輪に行ったのは平成の一桁までで、長い間バンクに行っていない。年末のグランプリをずっとTVで観ていたが、最近はご無沙汰だ。
ただ、競輪の話題を聞くたびごとに、伊集院静の動静を意識していた。
伊集院静は色川武大が亡くなったあと、バトンタッチをするかの如く小説を書く。直木賞をはじめとした文学賞も受賞する。たっぷりとツキをいただいたのかもしれない。無頼派の第一人者になった。ずっと晩年も競輪場に行っていたのであろうか?自分は酒に呑まれていた昭和のギャンブラー伊集院静が好きだ。
大変残念である。
昭和の時代から夏目雅子の夫で存在は知っていた。週刊誌その他でいい女にモテモテという記事をずいぶんと見た。その後、夏目雅子と死別した後で,阿佐田哲也のエッセイに名前が出てくるようになる。阿佐田哲也こと色川武大が存命時は、彼が書いたものをずいぶんと読んだ。奥が深かった。今でも「うらおもて人生録」は自分のバイブルだ。最初は芸能界系色男の伊集院静との結びつきは意外に思った。ところが、昭和末期に色川武大の本に登場する頻度が増える。イメージが違っていた。
伊集院静は夏目雅子亡き後かなり荒れた生活をしていたのが文章から読みとれる。酒に溺れながら地方を彷徨うエッセイを読むと,この人もうすぐ死んでしまうんじゃないかとずっと思っていた。事実、元TVプロデューサーで作家の久世光彦は文庫版「乳房」のあと書きで、不良の伊集院静はいつ死ぬのだろうか、私はその報せを聞くことがあるのだろうかと書いている。でも、久世光彦の方が先に亡くなった。
真っ当な人生を歩んでいる人にはご縁がない2人であろう。後になってバブル期とされる昭和の終わりに、自分は自堕落な生活をしていた。20代だった自分と同じような奴がいるんだなと妙に惹かれた。同時に、平成になってからも伊集院静の新作を追うようになる。2000年代を過ぎて週刊誌で伊集院静が人生訓を書いた本がベストセラーになる。本当かよと思わず吹き出してしまう。本人が照れくさいのではないか。日経新聞朝刊の連載小説も2作書いた。題材はサントリーの鳥井さんと夏目漱石だ。でも、この辺りのテイストはイメージとちょっと違う。
「愚者よ、お前がなくなって淋しくてたまらない。」という小説がある。いわゆる私小説だ。昭和の終わりの自堕落だった伊集院静の生活を書いている。これがむちゃくちゃおもしろい。3番目の奥さん篠ひろ子の許可も得て、前妻夏目雅子と知り合うきっかけや京都の名妓と同棲していたことも書いてある。モテモテだよね。でも、自慢気でない。今回改めて再読したが、自分にはいちばんしっくりくる。会話のリズムがいい。マジメ腐った男が書いてもこんなセリフは出てこない。
伊集院静が親しくしていた3人の破天荒な男がいる。スポーツ新聞の競輪記者、CMディレクター時代の後輩、出版社の編集者である。3人ともハチャメチャだ。「仁義なき戦い」で虫けらのように死んでいくチンピラみたいだ。いずれも亡くなっている。いい死に方をしたとは言えない。軽いフィクションであったとしても、ほぼ真実であろう。読んでいて、ムカつく気持ちすら出てくる3人だけど伊集院静はにくめない。一部、阿佐田哲也こと色川武大についても書いている。これは「いねむり先生」が本線だ。
「阿佐田哲也の競輪教科書」の本には、伊集院静が何度もでてくる。昭和63年(1988年)に週刊誌アサヒ芸能に連載されていたエッセイが基調である。週刊誌買って読んでいた。本の発行日が平成元年4月30日だ。4月10日に阿佐田哲也こと色川武大が亡くなっている。現在は絶版だけど、自分の書棚にはずっとある。昭和62年(1987年)に20代だった自分にとって大きな転換となるある出来事があった。その後、高校時代から麻雀本でお世話になった阿佐田哲也のエッセイを読み、初めて競輪場に行った。こんな世界があったのかと、時間があると行くようになった。
滝沢正光が圧倒的に強い時期で、中野浩一、井上茂徳とともに特別競輪の優勝を分け合った時代だ。青森で開催された昭和63年7月の全日本選抜に伊集院静が阿佐田哲也と一緒に行ったことが本に書いてある。ただ単に競輪を語るだけでなく、バクチ全般、人生についても語っている。仕事だけでなくあらゆることに通じる奥が深い名著だ。
その本の中で、伊集院静は井上茂徳から「競輪には先行型、追込み型はないんですよ。」と聞いたことを語っている。追込み型の帝王井上茂徳がいうので妙に納得した。昭和63年の競輪グランプリで、最後方から中野浩一の怒涛の捲りに乗って、マークの井上茂徳が鬼脚で差し切ったレースをまじかに見た印象が今でも映像のように残る。
競輪は推理してみるのが楽しく、のめり込んではいない。自分の主戦場は株だった。それでも、一度だけ1987年松戸記念の準決勝で正確な数字は忘れたが、16000円台後半の配当で5000円の車券を当てたことがある。アタマは山田英伸だった。払い戻しで厚い札束をもらい、誰かに襲われないかと心臓がドキドキした。とはいうものの勝っている方がマレだ。競輪に行ったのは平成の一桁までで、長い間バンクに行っていない。年末のグランプリをずっとTVで観ていたが、最近はご無沙汰だ。
ただ、競輪の話題を聞くたびごとに、伊集院静の動静を意識していた。
伊集院静は色川武大が亡くなったあと、バトンタッチをするかの如く小説を書く。直木賞をはじめとした文学賞も受賞する。たっぷりとツキをいただいたのかもしれない。無頼派の第一人者になった。ずっと晩年も競輪場に行っていたのであろうか?自分は酒に呑まれていた昭和のギャンブラー伊集院静が好きだ。