映画「ヘルプ 心がつなぐストーリー」は2011年のアメリカのドラマ
緑あふれる美しいミシシッピ州の街を舞台とした黒人差別の話だ。
「ローマの休日」のグレゴリーペックが初めてオスカー男優賞を受賞した「アラバマ物語」は1962年の作品だ。差別社会の中で一人の黒人が不利に裁かれる映画だ。グレゴリーペックの正義感あふれる弁護士姿は今もってアメリカに支持者が多い。この映画はちょうど同じころの舞台設定だ。映画「リンカーン」で黒人差別に懸命に闘う主人公の姿を見たが、その後100年間も状況は好転していなかった。南部の田舎街に至ってはほとんど変わっていなかったといっていい。それがこの映画でよくわかる。
1960年代前半の南部ミシシッピ州ジャクソンが舞台だ。
この街では、若い主婦は黒人のメイド(HELPといわれている)を雇って、子守や家事一般を任せていた。
ミシシッピ大学を卒業したスキーター(エマ・ストーン)はライターを志している勝気な独身女性だ。著名なライターに雇ってもらおうとしたが、修行が足りないのでどこかで勉強しろと言われ就職先を探していた。結局地元新聞社に採用された。そこでは、家事に関するコラムを担当することになる。読者からの家事に関する質問に答えるコラムだ。
未婚の彼女は家事の知恵を得るために、友人エリザベスのメイドであるエイビリーン(ヴィオラ・デイヴィス)から相談しようとしていた。昔からの友人は早くに結婚して、主婦になっていたが、いずれも黒人メイドに家事を任せて遊び呆けていた。自分たちも育ててもらったにもかかわらず、黒人を差別する雰囲気があった。スキーターも小さい頃から1人のHELPに育てられてきた。しかし、戻ってみると彼女はいなかった。その雰囲気がいやだった。
その時スキーターは黒人メイドの実態をインタビューすることを思いつき、ニューヨークのライターに相談した。そのアイディアはいいと受け入れられた。エイビリーンはしっぺ返しが怖くて、最初は取材を嫌がった。彼女は事件で息子を亡くしていた。しかし、少しづつ話しはじめる。同様にエイビリーンの仲良しのミリー(オクタヴィア・スペンサー)も同じように取材に答えるようになるが。。。。
まあ白人たちの憎たらしいこと。
意識して演じていると思うが、憎たらしい。わざとムカつかせる。保守層の白人がみると、逆の意味でムカつくであろう。
テレビ「細うで繁盛記」の富士真奈美はトコトンいやな女で主人公新珠美千代をイジメ抜いた。もともとは美人の富士真奈美があえてどのきついメガネをして意地悪な女を演じた。ここでの白人仲間のリーダーを演じるのはロンハワード監督の娘ブライス・ダラス・ハワードである。彼女は美しい。同時に映し出される友人たちも同じように美しい。でもいやな女だ。
いかにも50年代から60年代にかけての平和な時代のアメリカを象徴する女性たちである。ヘアースプレイたっぷりの髪型で、彼女たちが着るワンピースの柄はいかにもアメリカらしく素敵だ。まさにゴールデンエイジで住む家も外観から内装インテリアに至るまで完ぺきと思わせる素晴らしい家だ。
黒人メイドたちの受けるひどい仕打ちもテーマだが、この映画ではゴールデンエイジに暮らした人たちの素晴らしい生活が映し出される。正直南部のこの田舎町で何でこんなに豪華に住めるだけの財産を築き上げたのであろうか?この映画では地味な存在である男たちがどうやって生計を成り立たせているのかが気になった。謎である。
主人公であるヴィオラ・デイヴィスの安定した演技には当然感心したが、何よりもその友人ミリーを演じたオクタヴィア・スペンサーが素晴らしい。少しデブな体型で、顔の輪郭と目は相撲の「小錦」にそっくりだ。ぎょろりとした目に愛僑がある。
州で一番の料理自慢と言われるその腕をしぼって、元の雇い主の家においしいパイを持参する。お詫びのつもりが復讐だ。このシーンが最高に笑える。
この彼女が結局仕える奥様を演じるのが「ゼロダークサーティ」のジェシカ・チャステインだ。目が慣れないうちは同一人物には見えない。ちょっとおバカで、料理も家事もダメな女を演じる。彼女は白人若奥様のコミュニティに入りたいのだけど、無視されている。何か可哀そう。女のえげつなさを露骨に見せるシーンだけど、女のそういう醜さは万国共通のようだ。
緑あふれる美しいミシシッピ州の街を舞台とした黒人差別の話だ。
「ローマの休日」のグレゴリーペックが初めてオスカー男優賞を受賞した「アラバマ物語」は1962年の作品だ。差別社会の中で一人の黒人が不利に裁かれる映画だ。グレゴリーペックの正義感あふれる弁護士姿は今もってアメリカに支持者が多い。この映画はちょうど同じころの舞台設定だ。映画「リンカーン」で黒人差別に懸命に闘う主人公の姿を見たが、その後100年間も状況は好転していなかった。南部の田舎街に至ってはほとんど変わっていなかったといっていい。それがこの映画でよくわかる。
1960年代前半の南部ミシシッピ州ジャクソンが舞台だ。
この街では、若い主婦は黒人のメイド(HELPといわれている)を雇って、子守や家事一般を任せていた。
ミシシッピ大学を卒業したスキーター(エマ・ストーン)はライターを志している勝気な独身女性だ。著名なライターに雇ってもらおうとしたが、修行が足りないのでどこかで勉強しろと言われ就職先を探していた。結局地元新聞社に採用された。そこでは、家事に関するコラムを担当することになる。読者からの家事に関する質問に答えるコラムだ。
未婚の彼女は家事の知恵を得るために、友人エリザベスのメイドであるエイビリーン(ヴィオラ・デイヴィス)から相談しようとしていた。昔からの友人は早くに結婚して、主婦になっていたが、いずれも黒人メイドに家事を任せて遊び呆けていた。自分たちも育ててもらったにもかかわらず、黒人を差別する雰囲気があった。スキーターも小さい頃から1人のHELPに育てられてきた。しかし、戻ってみると彼女はいなかった。その雰囲気がいやだった。
その時スキーターは黒人メイドの実態をインタビューすることを思いつき、ニューヨークのライターに相談した。そのアイディアはいいと受け入れられた。エイビリーンはしっぺ返しが怖くて、最初は取材を嫌がった。彼女は事件で息子を亡くしていた。しかし、少しづつ話しはじめる。同様にエイビリーンの仲良しのミリー(オクタヴィア・スペンサー)も同じように取材に答えるようになるが。。。。
まあ白人たちの憎たらしいこと。
意識して演じていると思うが、憎たらしい。わざとムカつかせる。保守層の白人がみると、逆の意味でムカつくであろう。
テレビ「細うで繁盛記」の富士真奈美はトコトンいやな女で主人公新珠美千代をイジメ抜いた。もともとは美人の富士真奈美があえてどのきついメガネをして意地悪な女を演じた。ここでの白人仲間のリーダーを演じるのはロンハワード監督の娘ブライス・ダラス・ハワードである。彼女は美しい。同時に映し出される友人たちも同じように美しい。でもいやな女だ。
いかにも50年代から60年代にかけての平和な時代のアメリカを象徴する女性たちである。ヘアースプレイたっぷりの髪型で、彼女たちが着るワンピースの柄はいかにもアメリカらしく素敵だ。まさにゴールデンエイジで住む家も外観から内装インテリアに至るまで完ぺきと思わせる素晴らしい家だ。
黒人メイドたちの受けるひどい仕打ちもテーマだが、この映画ではゴールデンエイジに暮らした人たちの素晴らしい生活が映し出される。正直南部のこの田舎町で何でこんなに豪華に住めるだけの財産を築き上げたのであろうか?この映画では地味な存在である男たちがどうやって生計を成り立たせているのかが気になった。謎である。
主人公であるヴィオラ・デイヴィスの安定した演技には当然感心したが、何よりもその友人ミリーを演じたオクタヴィア・スペンサーが素晴らしい。少しデブな体型で、顔の輪郭と目は相撲の「小錦」にそっくりだ。ぎょろりとした目に愛僑がある。
州で一番の料理自慢と言われるその腕をしぼって、元の雇い主の家においしいパイを持参する。お詫びのつもりが復讐だ。このシーンが最高に笑える。
この彼女が結局仕える奥様を演じるのが「ゼロダークサーティ」のジェシカ・チャステインだ。目が慣れないうちは同一人物には見えない。ちょっとおバカで、料理も家事もダメな女を演じる。彼女は白人若奥様のコミュニティに入りたいのだけど、無視されている。何か可哀そう。女のえげつなさを露骨に見せるシーンだけど、女のそういう醜さは万国共通のようだ。