島倉千代子さんが亡くなったと報道されている。
自分よりも20以上も年上の方なのに、妙に気になってしまう。なぜだろう。
自分が子供のころ、自営だった父と一緒に実家の取引先によく集金についていった。
自宅のあった五反田から御殿山に車で向かい、八ツ山橋の横を通り品川駅前の通りに向かう。
現在の品川プリンスホテルの手前を左に曲がると、坂になっている。坂の途中に島倉千代子の家があった。
豪邸だったと記憶している。
父が「ここが、島倉千代子の家だ。すごい家だよなあ。旦那は阪神の野球選手だ。」と言っていた。
元阪神の藤本勝巳だ。品川駅のすぐそばだから遠征にもいい場所だったろう。
何度も同じところに行ったからよく覚えている。
八ツ山橋の横に森村学園があった気がする。それが山口百恵が住む高級マンションになった。
できたての時見に行った。その時、ついでに島倉千代子の家を見にいくと、そこにはもうなかった。
島倉千代子の恋人が医者だったというのは有名だ。
五反田の池上線のガード横にその眼医者があった。看板が印象的だった。
実はそのすぐそばの産婦人科で自分は生まれている。今はなんとラブホテルになっている。
失明寸前のところをその眼医者が救ったという恩義があったせいか、お金を貸してしまう。
そして島倉が借金を背負ってしまうのだ。悲劇としか言いようにない。
まさに「人生いろいろ」だ。
でも自分が一番好きな歌は「愛のさざなみ」だ。
このポップス調のアレンジがなんとも言えず、好きだ。
父も好きだった。
昭和43年暮れだ。この時自宅の中は真っ暗になりつつあった。
家長であった祖父のがんがわかったからだ。祖父と祖母はその43年9月目黒雅叙園で盛大に金婚式をやった。その直後だ。
家の中の変化は小学生の自分もよくわかった。
そして年が明け入院、4月に亡くなる。
家の中が真っ暗な時、なぜかこの歌が心に残った。
今月は母の命日で高輪の墓にいく。
全然関係ないかもしれないけど、昔島倉さんの家があったあたりで合掌しよう。
自分よりも20以上も年上の方なのに、妙に気になってしまう。なぜだろう。
自分が子供のころ、自営だった父と一緒に実家の取引先によく集金についていった。
自宅のあった五反田から御殿山に車で向かい、八ツ山橋の横を通り品川駅前の通りに向かう。
現在の品川プリンスホテルの手前を左に曲がると、坂になっている。坂の途中に島倉千代子の家があった。
豪邸だったと記憶している。
父が「ここが、島倉千代子の家だ。すごい家だよなあ。旦那は阪神の野球選手だ。」と言っていた。
元阪神の藤本勝巳だ。品川駅のすぐそばだから遠征にもいい場所だったろう。
何度も同じところに行ったからよく覚えている。
八ツ山橋の横に森村学園があった気がする。それが山口百恵が住む高級マンションになった。
できたての時見に行った。その時、ついでに島倉千代子の家を見にいくと、そこにはもうなかった。
島倉千代子の恋人が医者だったというのは有名だ。
五反田の池上線のガード横にその眼医者があった。看板が印象的だった。
実はそのすぐそばの産婦人科で自分は生まれている。今はなんとラブホテルになっている。
失明寸前のところをその眼医者が救ったという恩義があったせいか、お金を貸してしまう。
そして島倉が借金を背負ってしまうのだ。悲劇としか言いようにない。
まさに「人生いろいろ」だ。
でも自分が一番好きな歌は「愛のさざなみ」だ。
このポップス調のアレンジがなんとも言えず、好きだ。
父も好きだった。
昭和43年暮れだ。この時自宅の中は真っ暗になりつつあった。
家長であった祖父のがんがわかったからだ。祖父と祖母はその43年9月目黒雅叙園で盛大に金婚式をやった。その直後だ。
家の中の変化は小学生の自分もよくわかった。
そして年が明け入院、4月に亡くなる。
家の中が真っ暗な時、なぜかこの歌が心に残った。
今月は母の命日で高輪の墓にいく。
全然関係ないかもしれないけど、昔島倉さんの家があったあたりで合掌しよう。