平成20年10月30日 天候曇り
母校、秋田大学で学会が開催されるため、10月29日(水)から11月3日(月)までの中期休暇をとって秋田に出かける。今回はテント、シュラフ等の装備を車に積み込み、道の駅を点々とし、学会メイン日の31日以外は車内泊、またはテント泊りで行く予定だ。可能ならば鳥海山や月山に登りたいのだが、休み期間中は日本海側はずっと天気が悪そうだ。そういえば秋田に住んでいた18年間を思い出し、この季節になると日本海独特のどんよりとした雲におおわれるようになり、突然雪が降り出したり雷が鳴ったり、変わりやすい天気となり、それが春まで続く。日本で最も年間の日照時間が少ない場所なのだ。
さて、子供たちを学校に送り届けて8時半ごろ甲府を出発。塩山まで行ったところで持ち物を確認すると、学術集会参加票とプログラムの入った袋を病院に置き忘れてきたことに気付く。あの紙切れ1枚で1万5千円もとられるのだ。母校が主管だから無くても大丈夫なのだが、一応病院まで取りに戻る。これで1時間以上時間をロスし、結局10時過ぎの出発となる。圏央道がいちばん速そうだが、今回は雁坂トンネルから秩父を抜けて鶴ヶ島(だと思ったが?)インターから関越自動車道に乗り、日本海側に抜けて海岸沿いに秋田まで北上する。太平洋側はやや雲が広がるものの青空の見える天候だったが、関越トンネルの手前あたりから空一面暗い雲が広がり出し、ポツポツと雨が降り出した。そして関越トンネルを抜けた途端に土砂降り状態となる。天気予報どおり、日本海側は天候が悪い。その後も雨が降ったり止んだりの天候が続き、山形に入ったあたりで日が暮れる。鶴岡インターで山形自動車道に乗ったまでは良かったものの、カーナビの画面を見ると南方向(秋田とは反対の方向)に向っている。どうやら逆方向に入ってしまったらしい。サービスエリアに入って地図とカーナビで確認すると、やはり進行方向は山形。さらに良く地図を見ると月山のロープウェイまで次のインターで下りてすぐに行けそうだ。そこで、携帯の iモードでロープウェイの状況を調べると、10月26日で営業終了しているではないか。月山は止めて予定通り秋田に向う。
次のインターで乗りなおして再び北上、日中ならば眺めの良い海岸線の道も夜はただ真っ暗なだけ。時折白い波と沖合いの船の明かりが見えるだけだ。そして鳥海ブルーラインの吹浦側入り口に到着。どうするか迷ったが、とりあえず鉾立の駐車場まで行ってみることにした。ブルーラインを登り始めてすぐのところに看板があり、「夜間通行止め」と書かれているように見えた。戻って確認すると、こちらも夜間凍結の恐れがあるため、10月27日から規制があり、夕方5時から朝8時まではゲートが閉鎖されている。時間は夜8時半、ここでも数日の差で登山口までは行けない。さて、どうするか?学会は金曜日に参加の予定なので明日1日は時間がとれる。しかし、天候が天候なので、明日鳥海山の山頂まで行くのはほとんど期待できない。しかし、わずかな望みを抱きつつ、本日は象潟の道の駅で寝ることにした。
秋田県内の道の駅は驚くほど整備されていて、この象潟は大きな駐車場と展望風呂のある大きな建物、さらに道の向いにはコンビニエンスストアとファミリーレストランが立つ絶好の休憩場所だ。トラックだけでなく、一般の車でも私と同じように道の駅泊りの人たちがちらほらと見かけられる。お風呂は営業時間に間に合わず、終了直後だったが、朝は9時からやっている。天候悪ければ、明日はゆっくり風呂に入って秋田の学会場に向うことにして、ファミリーレストランで食事して寝る。
鳥海ブルーライン鉾立駐車場から見る日本海。どんより暗い雲が広がる。
夜中の11時ごろ、一時星空が広がったのでちょっと期待したのだが、あっという間に星は雲の中に隠れてしまう。翌朝6時半に起床、雨は降っていないものの空は曇り空、鳥海山は上部がすっぽりと暗い雲におおわれている。昨日の冷たい雨でおそらく上は雪。しかもガスの巻く視界の悪い状態だろう。一応鉾立駐車場までは行ってみることにして、8時半、象潟道の駅を出発した。予想通りのどんより暗い雲が頭上を覆い、駐車場のすぐ上から鳥海山は雲の中に隠れてしまっている。登山者らしき姿は全くなし、観光バス1台と数台の車が止まっているのみだ。気温は5℃くらい、風が冷たい。
鉾立駐車場。駐車場のすぐ上から雲が巻く。
鉾立の展望台。雪が少し積り、ガスに巻かれて展望が利かない。
サンダルを履いたままカメラだけ持って展望台まで登ってみると、谷側は完全にガスに巻かれて滝の音が響くのみだった。雪も少し積もっている。先に進むと木道が見え始めるが、もちろんトレースなどない。この状況で登っても何も見えないだろうし、新雪で道に迷う可能性もあり本日の登山はあきらめることにした。
御浜小屋に向かう登山道。もちろんトレースなし。
TDK小屋。小屋仕舞いの真最中だった。
鉾立山荘も次の連休で閉鎖となり、TDK小屋は布団を積み出して小屋を閉鎖している最中だった。登れなかったので、代わりに鉾立山荘で絵葉書を買い、向いのビジターセンターで写真展をやっていたのでそちらを見学する。素晴らしい写真の数々、そしてチョウカイフスマ、チョウカイアザミをはじめとする豊かな植生、登らずともこの山がいかに素晴らしい山であるかは十分に感じ取ることができる。思えば30年前、大学の1年生の時に学生課の募集で鳥海山登山に参加したことがあった。その頃は登山など全く興味が無かったのだが、同級生に誘われて試しに登ってみようということになった。7月20日ごろだったと思うが、夏休みに入ってすぐに観光バス2台に分乗して大学キャンパスを出発。その時の天候は、鳥海山の駐車場に着き夕食のカレーを食べた後から土砂降りの雨となり、さらに耳をつんざくような雷。テント泊りの予定が急遽避難小屋に寝ることとなった。どこの小屋かは覚えていないし、駐車場も今のように立派なアスファルトではなく、土の駐車場だったような記憶がある。60人もの学生がとても入り切れるような広さはなく、ワンダーフォーゲル部は雨の中でテント泊り、我々一般学生は足と頭を交互にしてギューギュー詰めで横になり、寝返りも打てない状況で夜を明かす。翌朝の天気も雨だったが、ワンダーフォーゲル部の人に誘われて7~8人の有志で途中まで登ってみることにした。雨で滑りやすくなっている土の斜面を15分ほど登って展望台らしきところに到着したが、ガスで何も見えなかった。恐らくその場所が今回行った展望台ではないだろうか。今ではセメントの階段がつけられていて、サンダル履きでも登れるようになってしまっている。もしあの時、天候が良くて鳥海山の絶景や高山植物が見られたなら、私はもっと早く登山に目覚めていたかもしれない。私は48歳にもなってまだ登山歴3年の初心者である。
仁賀保高原の休憩施設。鳥海山の絶好の展望地。
仁賀保高原の風力発電風車と鳥海山。1日中鳥海山は姿を現さなかった。
ずいぶんと長い記事になってしまったが、秋田に18年間も住んでいたが登ったことがなかった鳥海山。山梨に住んでいても何故か地元の山のような愛着がある。鳥海ブルーラインを象潟側に下りて途中で右折し、今度は仁賀保高原に向う。買った絵葉書の写真を見て、池の点在する仁賀保高原の風景を見てみたくなったからだ。カーナビに従って移動し、モダンな休憩施設と風力発電の風車が立ち並ぶ仁賀保高原に到着。晩秋の高原は平日ということもあり、ほとんど人はおらずひっそりとしていた。整備されたキャンプ場もあり、大きな炊事場の水も使用できる状態だった。南側に大きく聳える鳥海山、残念ながら雲におおわれて山頂は姿を見せてくれなかった。さらに鳥海山を湖面に映す大谷地池を見学し、鳥海山に別れを告げる。
大谷地池と鳥海山。このあたりには鳥海山を映す美しい池が点在する。
大仙市大曲に後輩が最近開業したのでそちらを訪問し、学会会場に午後5時ごろ到着した。医局員はすっかり世代交代し、一緒に仕事した仲間はもう教授くらいしかいなくなってしまった。秘書さんたちは当時の人たちが変わらず勤めていたので、最近の秋田の情勢を収集する。7時半からの懇親会で夕食を済ませ、医局の後輩たちに安いホテルを紹介してもらったのだが、北海道から来られて1ヶ月間も道の駅を転々としていたtarumae-yamaさんご夫妻の山行姿にあこがれて、再び車に乗り今度は秋田市の北側にある天王道の駅に移動して車内泊2泊目となる。ここも大きなお風呂のついた凄い道の駅だった。(天王道の駅編に続く)
母校、秋田大学で学会が開催されるため、10月29日(水)から11月3日(月)までの中期休暇をとって秋田に出かける。今回はテント、シュラフ等の装備を車に積み込み、道の駅を点々とし、学会メイン日の31日以外は車内泊、またはテント泊りで行く予定だ。可能ならば鳥海山や月山に登りたいのだが、休み期間中は日本海側はずっと天気が悪そうだ。そういえば秋田に住んでいた18年間を思い出し、この季節になると日本海独特のどんよりとした雲におおわれるようになり、突然雪が降り出したり雷が鳴ったり、変わりやすい天気となり、それが春まで続く。日本で最も年間の日照時間が少ない場所なのだ。
さて、子供たちを学校に送り届けて8時半ごろ甲府を出発。塩山まで行ったところで持ち物を確認すると、学術集会参加票とプログラムの入った袋を病院に置き忘れてきたことに気付く。あの紙切れ1枚で1万5千円もとられるのだ。母校が主管だから無くても大丈夫なのだが、一応病院まで取りに戻る。これで1時間以上時間をロスし、結局10時過ぎの出発となる。圏央道がいちばん速そうだが、今回は雁坂トンネルから秩父を抜けて鶴ヶ島(だと思ったが?)インターから関越自動車道に乗り、日本海側に抜けて海岸沿いに秋田まで北上する。太平洋側はやや雲が広がるものの青空の見える天候だったが、関越トンネルの手前あたりから空一面暗い雲が広がり出し、ポツポツと雨が降り出した。そして関越トンネルを抜けた途端に土砂降り状態となる。天気予報どおり、日本海側は天候が悪い。その後も雨が降ったり止んだりの天候が続き、山形に入ったあたりで日が暮れる。鶴岡インターで山形自動車道に乗ったまでは良かったものの、カーナビの画面を見ると南方向(秋田とは反対の方向)に向っている。どうやら逆方向に入ってしまったらしい。サービスエリアに入って地図とカーナビで確認すると、やはり進行方向は山形。さらに良く地図を見ると月山のロープウェイまで次のインターで下りてすぐに行けそうだ。そこで、携帯の iモードでロープウェイの状況を調べると、10月26日で営業終了しているではないか。月山は止めて予定通り秋田に向う。
次のインターで乗りなおして再び北上、日中ならば眺めの良い海岸線の道も夜はただ真っ暗なだけ。時折白い波と沖合いの船の明かりが見えるだけだ。そして鳥海ブルーラインの吹浦側入り口に到着。どうするか迷ったが、とりあえず鉾立の駐車場まで行ってみることにした。ブルーラインを登り始めてすぐのところに看板があり、「夜間通行止め」と書かれているように見えた。戻って確認すると、こちらも夜間凍結の恐れがあるため、10月27日から規制があり、夕方5時から朝8時まではゲートが閉鎖されている。時間は夜8時半、ここでも数日の差で登山口までは行けない。さて、どうするか?学会は金曜日に参加の予定なので明日1日は時間がとれる。しかし、天候が天候なので、明日鳥海山の山頂まで行くのはほとんど期待できない。しかし、わずかな望みを抱きつつ、本日は象潟の道の駅で寝ることにした。
秋田県内の道の駅は驚くほど整備されていて、この象潟は大きな駐車場と展望風呂のある大きな建物、さらに道の向いにはコンビニエンスストアとファミリーレストランが立つ絶好の休憩場所だ。トラックだけでなく、一般の車でも私と同じように道の駅泊りの人たちがちらほらと見かけられる。お風呂は営業時間に間に合わず、終了直後だったが、朝は9時からやっている。天候悪ければ、明日はゆっくり風呂に入って秋田の学会場に向うことにして、ファミリーレストランで食事して寝る。
鳥海ブルーライン鉾立駐車場から見る日本海。どんより暗い雲が広がる。
夜中の11時ごろ、一時星空が広がったのでちょっと期待したのだが、あっという間に星は雲の中に隠れてしまう。翌朝6時半に起床、雨は降っていないものの空は曇り空、鳥海山は上部がすっぽりと暗い雲におおわれている。昨日の冷たい雨でおそらく上は雪。しかもガスの巻く視界の悪い状態だろう。一応鉾立駐車場までは行ってみることにして、8時半、象潟道の駅を出発した。予想通りのどんより暗い雲が頭上を覆い、駐車場のすぐ上から鳥海山は雲の中に隠れてしまっている。登山者らしき姿は全くなし、観光バス1台と数台の車が止まっているのみだ。気温は5℃くらい、風が冷たい。
鉾立駐車場。駐車場のすぐ上から雲が巻く。
鉾立の展望台。雪が少し積り、ガスに巻かれて展望が利かない。
サンダルを履いたままカメラだけ持って展望台まで登ってみると、谷側は完全にガスに巻かれて滝の音が響くのみだった。雪も少し積もっている。先に進むと木道が見え始めるが、もちろんトレースなどない。この状況で登っても何も見えないだろうし、新雪で道に迷う可能性もあり本日の登山はあきらめることにした。
御浜小屋に向かう登山道。もちろんトレースなし。
TDK小屋。小屋仕舞いの真最中だった。
鉾立山荘も次の連休で閉鎖となり、TDK小屋は布団を積み出して小屋を閉鎖している最中だった。登れなかったので、代わりに鉾立山荘で絵葉書を買い、向いのビジターセンターで写真展をやっていたのでそちらを見学する。素晴らしい写真の数々、そしてチョウカイフスマ、チョウカイアザミをはじめとする豊かな植生、登らずともこの山がいかに素晴らしい山であるかは十分に感じ取ることができる。思えば30年前、大学の1年生の時に学生課の募集で鳥海山登山に参加したことがあった。その頃は登山など全く興味が無かったのだが、同級生に誘われて試しに登ってみようということになった。7月20日ごろだったと思うが、夏休みに入ってすぐに観光バス2台に分乗して大学キャンパスを出発。その時の天候は、鳥海山の駐車場に着き夕食のカレーを食べた後から土砂降りの雨となり、さらに耳をつんざくような雷。テント泊りの予定が急遽避難小屋に寝ることとなった。どこの小屋かは覚えていないし、駐車場も今のように立派なアスファルトではなく、土の駐車場だったような記憶がある。60人もの学生がとても入り切れるような広さはなく、ワンダーフォーゲル部は雨の中でテント泊り、我々一般学生は足と頭を交互にしてギューギュー詰めで横になり、寝返りも打てない状況で夜を明かす。翌朝の天気も雨だったが、ワンダーフォーゲル部の人に誘われて7~8人の有志で途中まで登ってみることにした。雨で滑りやすくなっている土の斜面を15分ほど登って展望台らしきところに到着したが、ガスで何も見えなかった。恐らくその場所が今回行った展望台ではないだろうか。今ではセメントの階段がつけられていて、サンダル履きでも登れるようになってしまっている。もしあの時、天候が良くて鳥海山の絶景や高山植物が見られたなら、私はもっと早く登山に目覚めていたかもしれない。私は48歳にもなってまだ登山歴3年の初心者である。
仁賀保高原の休憩施設。鳥海山の絶好の展望地。
仁賀保高原の風力発電風車と鳥海山。1日中鳥海山は姿を現さなかった。
ずいぶんと長い記事になってしまったが、秋田に18年間も住んでいたが登ったことがなかった鳥海山。山梨に住んでいても何故か地元の山のような愛着がある。鳥海ブルーラインを象潟側に下りて途中で右折し、今度は仁賀保高原に向う。買った絵葉書の写真を見て、池の点在する仁賀保高原の風景を見てみたくなったからだ。カーナビに従って移動し、モダンな休憩施設と風力発電の風車が立ち並ぶ仁賀保高原に到着。晩秋の高原は平日ということもあり、ほとんど人はおらずひっそりとしていた。整備されたキャンプ場もあり、大きな炊事場の水も使用できる状態だった。南側に大きく聳える鳥海山、残念ながら雲におおわれて山頂は姿を見せてくれなかった。さらに鳥海山を湖面に映す大谷地池を見学し、鳥海山に別れを告げる。
大谷地池と鳥海山。このあたりには鳥海山を映す美しい池が点在する。
大仙市大曲に後輩が最近開業したのでそちらを訪問し、学会会場に午後5時ごろ到着した。医局員はすっかり世代交代し、一緒に仕事した仲間はもう教授くらいしかいなくなってしまった。秘書さんたちは当時の人たちが変わらず勤めていたので、最近の秋田の情勢を収集する。7時半からの懇親会で夕食を済ませ、医局の後輩たちに安いホテルを紹介してもらったのだが、北海道から来られて1ヶ月間も道の駅を転々としていたtarumae-yamaさんご夫妻の山行姿にあこがれて、再び車に乗り今度は秋田市の北側にある天王道の駅に移動して車内泊2泊目となる。ここも大きなお風呂のついた凄い道の駅だった。(天王道の駅編に続く)