アメリカの金融危機の影響で新しい車の販売数が激減している。昨年まで隆盛を誇っていた日本のトヨタ、ニッサン、ホンダなどの自動車製造会社では生産量縮小にともない派遣社員を多数辞めさせている。大きな社会問題になっている。弱者切り捨ての風潮を助長しているようで暗い気持ちになる。このような悪い現象がおきていることは忌まわしい事実ではあるが、筆者の感情の片隅に歓迎したい気持ちもある。矛盾しているが、所詮人間は矛盾しているのだ。この矛盾した感じ方へ多少の賛同を得られると思うので、本音を書いて見ることにした。
この感情を理解して頂くために、まず自分の歴史を書く。戦争中に生まれ育ったせいで節約は美徳とつい考えてしまう。新車を買って2、3年すると二束三文で売り、また新車を買う人々が多いのに吃驚する。このような贅沢な車の使い方が嫌いなのだ。大げさに言うと、「神をも恐れぬ所業」に感じる。理屈では説明のつかない感情の問題なのだ。
その上、「使い捨て文化」は何となく自分の心が荒れるような気分になる。これも感情の問題なので合理的な説明が出来ない。
「使い捨て」こそが経済活性の根本だという合理的な説明は知的レベルでは納得する。しかし感情的について行けない。ここまでは戦前生まれの人々にある程度の賛同を得られると思う。
筆者にはもう一つの理由がある。長い間、大学の工学部で働いて来た。工業製品の製造技術の開発の困難なことを知っている。工学部を卒業して技術者になった人々が、どんなに苦労して絶対に故障しない車を作っているか、その実態を知っている。
新しい製造技術の開発では天才的な技術者が必要だ。しかし工場現場では技術者と工場労働者のチームワークが要求される。完璧なチームワークを作らないと工業製品の品質にバラツキが生じてしまう。日本の車は故障しないことで世界を席巻しているが、その原因は完璧な品質管理のお陰なのだ。
従って、新しい車はほぼ10年は使える。修理しながら使えば20年も使えると思う。事実、筆者も新カローラを買って10年間、12万キロ走行した経験を持っている。話しは突然変わるが霞が浦で10年間、使っているヨットは築27年の中古だ。新艇同様に走る。27年も古いヤンマーのジーゼルエンジンが快調に回るのだ。
一般に工業製品というものは大切に修理しながら使えば驚くほど長い年月使えるものなのだ。
必要のない新車を次から次へと買う人々が多いことが経済成長の原因という事実も否定できない。しかし感情のレベルではどうしても賛成できない。新車が売れなければ経済的に悪いことが自分の身の上へも起きる。しかし感情の上では大歓迎したい。
この矛盾はどうした良いのでしょうか?
最後に挿絵かわりに1960年にアメリカで購入した中古車の写真をしめします。1954年製のダッチ・コロネットでした。トランスミッションのオイルが少しずつ漏るのだけが故障でした。(終わり)