後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

原子力発電が好きですか?嫌いですか?(1)発電の仕組み

2009年02月06日 | 日記・エッセイ・コラム

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原子力発電が好きですか?嫌いですか?と、聞けば多くの人々は嫌いです。と、答えるでしょう。日本人にとって、広島や長崎の惨状をどうしても連想しますので感情的にとても好きになれないないのです。それが自然な人情ではないでしょぅか?

ところが、それにもかかわらず、原子力発電は広く実用化が進んでいます。

日本の総発電量の約3分の1、すなわち34%位が原子力発電に頼っています。残りの大部分は火力発電です。そして少しの割合の水力発電があります。

原子力発電を推進しているのは保守系の政治家、中央省庁の官僚、大会社の幹部などです。勿論電力会社の幹部は熱心に原子力発電所を建設し、稼働しています。社会の権力を持っている人々が原子力発電を推進すべしという意見なのです。

そこで何故、原子力に頼ろうとしているか?この問題を少し検討して見ましょう。

それにはまず、原子力発電の仕組みを大凡理解する必要があると思います。

この図は日本でよく使われている加圧型の原子力発電の仕組みを簡略に説明しています。

左の部分で原子核反応で発生した熱を冷却剤を循環して取り出します。この高温の冷却材へ左から水を送り蒸気を作り、それを右の方の発電用のタービンへ送っています。タービンで発電機を回転させれば電気が得られのです。

これから、この装置の安全性を少し議論して、原子力発電の信頼性を考えてみましょう。(続く)


「新車の販売数の激減に思う」

2009年02月06日 | 日記・エッセイ・コラム

アメリカの金融危機の影響で新しい車の販売数が激減している。昨年まで隆盛を誇っていた日本のトヨタ、ニッサン、ホンダなどの自動車製造会社では生産量縮小にともない派遣社員を多数辞めさせている。大きな社会問題になっている。弱者切り捨ての風潮を助長しているようで暗い気持ちになる。このような悪い現象がおきていることは忌まわしい事実ではあるが、筆者の感情の片隅に歓迎したい気持ちもある。矛盾しているが、所詮人間は矛盾しているのだ。この矛盾した感じ方へ多少の賛同を得られると思うので、本音を書いて見ることにした。

この感情を理解して頂くために、まず自分の歴史を書く。戦争中に生まれ育ったせいで節約は美徳とつい考えてしまう。新車を買って2、3年すると二束三文で売り、また新車を買う人々が多いのに吃驚する。このような贅沢な車の使い方が嫌いなのだ。大げさに言うと、「神をも恐れぬ所業」に感じる。理屈では説明のつかない感情の問題なのだ。

その上、「使い捨て文化」は何となく自分の心が荒れるような気分になる。これも感情の問題なので合理的な説明が出来ない。

「使い捨て」こそが経済活性の根本だという合理的な説明は知的レベルでは納得する。しかし感情的について行けない。ここまでは戦前生まれの人々にある程度の賛同を得られると思う。

筆者にはもう一つの理由がある。長い間、大学の工学部で働いて来た。工業製品の製造技術の開発の困難なことを知っている。工学部を卒業して技術者になった人々が、どんなに苦労して絶対に故障しない車を作っているか、その実態を知っている。

新しい製造技術の開発では天才的な技術者が必要だ。しかし工場現場では技術者と工場労働者のチームワークが要求される。完璧なチームワークを作らないと工業製品の品質にバラツキが生じてしまう。日本の車は故障しないことで世界を席巻しているが、その原因は完璧な品質管理のお陰なのだ。

従って、新しい車はほぼ10年は使える。修理しながら使えば20年も使えると思う。事実、筆者も新カローラを買って10年間、12万キロ走行した経験を持っている。話しは突然変わるが霞が浦で10年間、使っているヨットは築27年の中古だ。新艇同様に走る。27年も古いヤンマーのジーゼルエンジンが快調に回るのだ。

一般に工業製品というものは大切に修理しながら使えば驚くほど長い年月使えるものなのだ。

必要のない新車を次から次へと買う人々が多いことが経済成長の原因という事実も否定できない。しかし感情のレベルではどうしても賛成できない。新車が売れなければ経済的に悪いことが自分の身の上へも起きる。しかし感情の上では大歓迎したい。

この矛盾はどうした良いのでしょうか?

最後に挿絵かわりに1960年にアメリカで購入した中古車の写真をしめします。1954年製のダッチ・コロネットでした。トランスミッションのオイルが少しずつ漏るのだけが故障でした。(終わり)

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島全体が熱帯的植物園ー八丈島

2009年02月06日 | 写真

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私の趣味は雑木林を眺めることです。従ってこのブログは「山林・杜の人のブログ」と称し、雑木林や山林の写真を数多く掲載しています。その延長で植物園が大好きです。札幌に行けば必ず北海道大学付属植物園へ行きます。九州の宮崎のそばの青島は小さな島全体が熱帯性植物園です。洗濯板のような岩礁の上の歩道を渡って行くと唐突に熱帯性の植物が繁茂している小島へ行けます。沖縄へ行けばヤンバルの森に圧倒されます。

シンガポールへ行った時は植民地時代にイギリス人が作った広大な植物園へ行きました。熱帯の大木が、ていていと聳えている林に感動しました。赤道直下の植物園です。シツットガルトに住んでいたときも植物園へ行きました。木蓮(マグノリア)や椿(カメリア)が改良されて色々な花に変身しています。

今回八丈島で感動したことは大きな島全体が熱帯性の植物で覆われていて、さながら天然の植物園のように見えることでした。この感動をどのように伝えるべきか、と数日考えてきました。しかし、あまり技巧をこらすないで写真をすなおに掲載することにしました。

上の3枚の写真は人間の手の入っていない文字通り自然の植物の様子です。

下の3枚は大賀卿町の中心にある公園です。

公園の真中にドライブウエイがあって車で楽しみながら通り抜けられるようになっています。ところどころの林の中に駐車場があり、散歩することも出来ます。素晴らしい所ですが、近所の人が2、3人だけ散歩している、淋しいくらい静かな公園です。子供連れの女の人へ挨拶をして少し立ち話しました。東京から、公園のそばの実家に里帰りしています。と、楽しそうでした。

人間の手の入った公園と漁港の回りの自然の山々の植物は佇まいが異なります。公園の林は整然としています。自然林は一見荒れたような印象を受けますがよく見ると種々の草木が仲良く繁っています。どちらも美しいと思います。(写真は2月28日から31日の間に撮影しました)

八丈島の植物の写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。           藤山杜人

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