日本の原子力発電は総発電量の34%までに成長してしまった。現在に到って、それを停止するのは非現実的なことである。
この発電方法を促進した人々の動機や目的は種々であり、同様に反対運動をして来た人々の反対理由も少しずつ異なっていると理解するのが実態に近いと思う。
原子力発電に関する連載記事を掲載して、色々なコメントを貰った。それらを考えてみると自分の原子力発電へ賛成して来た考え方が間違っていた部分があることに気がついた。少なくとももっと多様な意見があることを重要に考えるべきであった。これこそブログをしていたお陰だ。
どこをどういう風に間違って来たかを理解して頂く為に何回かに分けて順徐良く話して見たいと思う。
今回は「動力核燃料公社」(所謂、動燃)の後進の核燃料サイクル機構の東海村本部を10年前に訪問したとき見た写真について報告したい。
動燃が発足以来、毎年、天皇陛下や皇太子殿下が動燃やサイクル機構を訪問・視察してきた大きな写真が玄関ロビーの壁に飾ってあった。玄関にいつまでも飾ってあるのは動燃やサイクル機構の幹部や職員が皇族の訪問を名誉と思い、自分達の仕事が天皇に守られるほど重要な仕事だと思っていたからに違いない。
私はその毎年の天皇や皇太子の訪問の写真を見たときその意味が分からなかった。それから10年たって、今回ブログで原発反対のコメントを貰い、一瞬にして闇から明るい所に出たように天皇訪問の意味が分かった。
それは原子力発電は日本の威信を高める国家的事業という目的もあった、ということだ。(もちろん安い電力を得たいという実利的目的もあった。)
国威発揚という発想はどうしても軍国主義時代を連想させるのは仕方ないことである。その結果、日本全国は空襲の被害をうけ、敗戦間際には原子爆弾すら2個も落とされたのだ。感情的に反対するのは自然の道理ではなかろうか。
今回は原子力発電の国威発揚の目的と、それに対する自然な反応を取り上げて見た。この側面は原子力発電の技術的安全の問題とは異なる性質を持っている。
賛成派、反対派の種々の複雑な目的については今後、順次取り上げて行くつもりだ。
(続く)