後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

縄文人の外洋の航海について

2009年02月04日 | うんちく・小ネタ

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八丈島の歴史民俗資料館でお会いした地域歴史専門家の細谷昇司氏のご説明を聞きながら資料館を各室を順に見て行きました。ある部屋に、約6000年前の縄文時代に島のあちこちに住んでいた人々の遺骨や石器・土器が展示してあります。石斧の石は海岸にあるような石ですが、土器に使われた粘土は火山で出来たばかりの島には有る筈がありません。従って縄文人は土器を持って太平洋を渡って本州から来たのです。

しかし本当に丸木舟しか無い時代に縄文人は三宅島から御蔵島、そして八丈島へと渡って来れたのでしょうか?

江戸時代に幕府所有の大型帆船でも八丈島へわたるのに1ケ月以上も海上をさまよったのです。三宅島から大島へ逆走したり難破しそうになったりしたのです。

疑問に思っていましたら、細谷昇司氏が教えてくれました。2008年5月に八丈島から御蔵島までの80kmを八幡さんという青年が単身でシーカヤックで渡ったそうで す。

080530bouken1 南海タイムスという新聞の2008年5月30日の記事から左の写真と以下の文章を転載いたします

沖縄県石垣市、八幡暁さん(33)が28日早朝4時に神奈川県の鎌倉へ向けて八丈島の永郷海岸をシーカヤックで出発した。八幡さんは最初の寄港地・御蔵島までの約80キロを、20時間で動力を使わず2本の腕で漕ぎ渡る。
黒潮の影響を受ける八丈島・三宅島間は潮流が速く、これまでにシーカヤックでの航海例がないルートだ。

八幡さんはオーストラリアから日本までの総距離80009000キロをシーカヤックで漕ぎきる計画を2002年から実行中だ。「このアジア回りは世界で一番島が多く、世界のカヤッカーが航海していないルート」という。これまでにオーストラリアとニューギニアの半分を縦断。昨年は、フィリピンと台湾の間にあるバシー海峡の横断に成功している。
「シーカヤックはサーフィンと同じで、大きな波を受け流したり、乗っかったりする技術がなければ、波に転がされてしまう。海で気象現象を予測し、起こってしまうリスクを回避するのも楽しみのうち。だから航海は単独無伴走」という。

http://www.nankaitimes.com/news_photo/photo08/photo/topnp_08.html ) 

八丈島は絶海の孤島と言いますが御蔵島から肉眼で見えるそうです。縄文時代人は洋上で島が見えれば丸木舟で渡って行ったのです。天気の安定する季節を選んで、丸木舟を現在のシーカヤックのように漕いで行ったのでしょう。小さな帆も上げて多少は風の助けを使ったとも想像できます。

操船の難しい大型帆船より自分の両手で漕ぐ丸木舟(カヌー)の方が確実に外洋を渡れたのでしょう。その時、八幡さんの言う、「シーカヤックはサーフィンと同じで、大きな波を受け流したり、乗っかったりする技術がなければ、波に転がされてしまう。」という技術が重要になるのでしょう。

尚、細谷昇司さんは「ながれ」というハンドルネームでブログ

http://blog.goo.ne.jp/zuninrunin/ を書いています。(終わり)

 


趣味のグルメの内容のいろいろ

2009年02月04日 | うんちく・小ネタ

戦前に生まれ育ったせいか、「美食趣味」というものに抵抗感がある。その頃の日本は食糧事情が悪かった。

また食べ物の話をするのは品性が悪いという話をよく聞いた。それでブログにはグルメ記事をなるべく掲載しないようにして来た。

グルメとは本来、「美味追及の文化的活動」である。従ってその内容は深淵な意味を含んでいる。しかし日本のマスコミでは、グルメの本来の定義から離れて「美味しい店を探して食べ歩く」という限定された意味で「グルメ」という言葉が使われる。そこで以下の文章では「趣味のグルメ」をこの日本のマスコミの定義に従って考えて見る。

「美味な店を探す」にもいろいろな探し方がある。金額に拘らないで美味しいレストランや料亭へ行って楽しむ。また、一方では、なるべく節約しながら都会や地方の料理を味わう。

インドやアフリカでは餓えた人々が多数居る。そんな事をつい思い出すので私のグルメ趣味は以下のような条件付きの趣味である。

(1)地域性を考え季節によって安価に得られる食材を使っている。

(2)食材を無駄なく使い、料理法に創意や工夫が感じられる。

(3)決して高価な食器ではないが盛りつけやサービスに誠意を感じさせる。

上の(1)、(2)、(3)の条件を満足していれば料理の値段も当然ひかいめになる。

そのような店を探して、料理をつくった人々の気持ちを考え、その地域の文化と結び付けて楽しむ。これが全てではないが私が食事をする店を探すときにはいつも考える条件である。店を探すときはなるべくインターネットに頼らないで現地の人々に聞く。

八丈島ではすべて上の条件を満足する所にめぐり会えた。それで八丈島の印象が良いのだ。先日は、あそこ寿司を紹介したが、今日はまず、銀八寿司を紹介する。

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ご主人の写真と伝統的な島寿司の写真である。東京にあるような江戸前の高級なニギリもある。しかし島寿司の価格の方が低い。活きの良い地元の魚を無駄なく使っている様子がうかがえる。メダイ、アオゼ、オナガダイなどである。島へ行ってインドマグロやイクラ、エビなどのニギリを食べるのは何か不自然で私の趣味ではない。地元では白身の魚を何日も腐らせないで寿司を楽しむために漬けにしてあるのだ。甘めのシャリに慣れてしまえば絶品である。

つぎは島料理の厨という店を紹介したい。

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左が昼食の島御膳「おまかせ」(1500円)で右は質素な店の佇まいの写真である。島豆腐、飛魚のツミレ煮、地魚の刺身などが丁寧に誠意を込めて作ってある。

料理人の誠意というものは説明が困難だ。しかし食べてみると明解に分かるのだ。

如何にも島の家庭でつつましい食材で、美味く、健康に良いように作った感じの御膳である。その家庭的な誠意に感激した。支払をした後で厨房をのぞくと50歳くらいのおばさんが一人で作っている。「おいしかったですよ」と声をかけたらニコリとしていた。

次は泊った八丈ビューホテルの夕食の写真を示す。

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ホテルと言っても実態は旅館である。太平洋の眺望の良いことを抜きにすれば良くある和風の旅館である。1泊2食付き12600円という。部屋が良いだけに、食事の経費を節約しなければ経営が続かない。

しかし上の写真からうかがえるように、料理人が努力して島料理を出しているのだ。伝統的な島寿司もついている。刺身にはマグロなど使わないで島魚を使う。島で容易に手に入れる魚はカジキ、オナガダイ、アオゼ、メダイ、トビウオなどである。勿論アジやサバもとれるが、流石にホテルでは出てこない。

この写真の右上の鍋はヤギ肉の鍋だ。これも島料理。そこで沖縄のヤギ汁を思い出した。これも琉球文化の影響だろうかと沖縄のことをあれこれ考えながら食事を楽しんだ。ここで美味な島焼酎をあれこれ飲んで見たかったが、焼酎は強すぎるので自重して次回へ延期とした。

島の人々が工夫して食材をなるべく美味しく料理してるのを実感出来た。そこで島にある大きなスーパーマーケットへ行ってみた。売っている食料品は東京のスーパーと殆ど変らない。しかし、島寿司のパックが売っている。トビウオやオナガダイや名前の知らない島魚はそのままの姿で売っている。アジやサンマは冷凍で本土から運び込んだ物だ。アシタバがホウレンソウの代わりに売っている。

しかし島独特の商品は意外に少なく大部分の商品は全国から、世界中から来ている。この状態は山林の山小屋趣味でよく行く山梨県北部の農村にあるスーパーと同じだ。山梨では島魚やアシタバは無いが、大部分は同じものを売っている。

私の趣味のグルメとは、この様にいろいろな人々の食生活、少し格好良く言えば食文化を探す趣味なのだ。

当然、趣味は個人の自由だ。どのようなグルメ趣味を持とうが私は特別な意見は無い。ただ私の個人的な趣味のグルメの楽しみ方を書いただけです。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。    藤山杜人

追記:八丈島銀八寿司、八丈島厨(くりや)、八丈ビューホテルは検索するとHPが出てきます。