八丈島の歴史民俗資料館でお会いした地域歴史専門家の細谷昇司氏のご説明を聞きながら資料館を各室を順に見て行きました。ある部屋に、約6000年前の縄文時代に島のあちこちに住んでいた人々の遺骨や石器・土器が展示してあります。石斧の石は海岸にあるような石ですが、土器に使われた粘土は火山で出来たばかりの島には有る筈がありません。従って縄文人は土器を持って太平洋を渡って本州から来たのです。
しかし本当に丸木舟しか無い時代に縄文人は三宅島から御蔵島、そして八丈島へと渡って来れたのでしょうか?
江戸時代に幕府所有の大型帆船でも八丈島へわたるのに1ケ月以上も海上をさまよったのです。三宅島から大島へ逆走したり難破しそうになったりしたのです。
疑問に思っていましたら、細谷昇司氏が教えてくれました。2008年5月に八丈島から御蔵島までの80kmを八幡さんという青年が単身でシーカヤックで渡ったそうで す。
南海タイムスという新聞の2008年5月30日の記事から左の写真と以下の文章を転載いたします。
沖縄県石垣市、八幡暁さん(33)が28日早朝4時に神奈川県の鎌倉へ向けて八丈島の永郷海岸をシーカヤックで出発した。八幡さんは最初の寄港地・御蔵島までの約80キロを、20時間で動力を使わず2本の腕で漕ぎ渡る。
黒潮の影響を受ける八丈島・三宅島間は潮流が速く、これまでにシーカヤックでの航海例がないルートだ。
八幡さんはオーストラリアから日本までの総距離8000~9000キロをシーカヤックで漕ぎきる計画を2002年から実行中だ。「このアジア回りは世界で一番島が多く、世界のカヤッカーが航海していないルート」という。これまでにオーストラリアとニューギニアの半分を縦断。昨年は、フィリピンと台湾の間にあるバシー海峡の横断に成功している。
「シーカヤックはサーフィンと同じで、大きな波を受け流したり、乗っかったりする技術がなければ、波に転がされてしまう。海で気象現象を予測し、起こってしまうリスクを回避するのも楽しみのうち。だから航海は単独無伴走」という。
(http://www.nankaitimes.com/news_photo/photo08/photo/topnp_08.html )
八丈島は絶海の孤島と言いますが御蔵島から肉眼で見えるそうです。縄文時代人は洋上で島が見えれば丸木舟で渡って行ったのです。天気の安定する季節を選んで、丸木舟を現在のシーカヤックのように漕いで行ったのでしょう。小さな帆も上げて多少は風の助けを使ったとも想像できます。
操船の難しい大型帆船より自分の両手で漕ぐ丸木舟(カヌー)の方が確実に外洋を渡れたのでしょう。その時、八幡さんの言う、「シーカヤックはサーフィンと同じで、大きな波を受け流したり、乗っかったりする技術がなければ、波に転がされてしまう。」という技術が重要になるのでしょう。
尚、細谷昇司さんは「ながれ」というハンドルネームでブログ: