老人になると、よく死後の世界を空想いたします。仏教徒ならお釈迦様のもとへ、そしてキリスト教徒ならイエス様のもとに行くと思います。それとともに死後の風景のことも想像します。独りでヨットで沖に出たり、山林の中へ分け入ると、「ああ、これが死後に見る風景だ!」と直観することが度々あります。生まれつき楽天的な性格なので、静かで、安らかで、ゆっくり休めるような風景と想像しています。人間同士の争いも戦争もない、ただひたすら静かで、ゆったり身も心もやすまるような風景です
生前のお金持ちでも貧乏人でも等しくゆっくりと休んでいます。権力者も虐げられてきた人も、宗教の信者も共産主義者も皆な平等に休んでいます。
そこは空腹も寒さも感じない世界です。昨日、湖の上には一日中、春の霧がかかっていました。鏡のように平らでトロリとした湖面の向こうには、連なる森がわずかに見えます。静かです。何時間も沖で風を待っていました。このような風景の中に何時間もジッとしていると本当に死後の世界へ来たような気がします。もう2枚の写真をお送りします。皆さまの心も安らかになれば嬉しく思います。
死後の世界の静かさを楽しんでいたら午後になり少し北風が吹いてきました。セールを2枚、霧の中に上げて、ゆっくり、ゆっくり水の上を滑ってきました。あまり静かに走るので船体に当たる水音さえ聞こえません。そんなときは空気をゆったり掴んだセイルそのものが死後の世界を暗示しているような気がします。
ヨットの経験がある方には共感して頂けるかも知れないと思い4枚の写真を掲載いたします。本当に遅いクロ-ズホールドで滑っています。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。 藤山杜人