原子発電炉の「もんじゅ」の1985年から2005年までの20年間の大型訴訟には種々の効果がある。単に1億6000万円の休止中の保守管理費用の浪費だけではない。しかし種々の効果の良し悪の評価は、原子力発電の賛成の立場に立つか、反対の立場に立つかによって分かれる。前記の通り小生はどちらの政治的な立場にも立たないであくまでも技術者の立場から2つの問題を提起したいと思う。
(1)原子力産業分野の情報公開が進んだ。しかし、真に必要な情報公開をしているか?
(2)技術者が倫理的信念にもとずいて内部告発した場合の技術者の社内立場を守る法律や条例が作成されなかった。マスコミはこの問題を少ししか取り上げなかった。
ここで(1)と(2)についてもう少し具体的に補足しておきたいと思います。
(1)については「もんじゅのナトリウーム漏洩事故」を検索すると物凄く詳細な、そして専門的な事故原因と改良工事の情報が豊富に出てくる。「もんじゅ」運転団体側(現在は独立行政法人の日本原子力開発研究機構)からインターネット上の発表したものである。
しかし発表の仕方があまりにも専門的で、詳細なのでその分野の技術者でないと理解できない。事故は簡単に言えば2次冷却用のナトリウーム循環流のための鉄合金のパイプが疲労破壊してナトリウームが流れ出したことである。
流れ出したナトリウームが床材と激しく反応して爆発し、一部は屋外へ排気されたのである。2次冷却用のナトリウームは弱い放射能しか含んでいないので環境の被害は極く限定的なものであった。微弱な放射能は別にすればこの程度の爆発事故は高温の金属融体を取り扱う工業分野ではさして珍しい事故ではない。そんな軽微な事故をも公開しないという動燃の情報隠蔽体質が大問題として糾弾されたのです。
訴訟の結果、現在は必要以上に詳細を極めた事故情報がインターネットへ公開されています。しかしこれは一種の隠蔽的な効果をもたらします。
一般に高温工場での事故は、軽微な事故1000回あるとその1回は人身事故になると言います。従って民間の工場では日常の軽微な事故の記録とその回数の減少が安全管理の目標になります。
従って原子力発電現場が情報公開をするなら日常起きる軽微な事故の内容とその減少のようすを公開すべきです。マスコミが騒ぐ事故だけの技術的情報を詳細に公開することは将来の事故防止には役に立たないと思います。
私の友人がある高温工業の工場長の時、人身事故を起し、その後始末とその後の防止に骨身をけずる努力をしたそうです。その苦労話をしんみり聞いたことがあります。安全管理の努力はマスコミ対策のためにするのでは有りません。人命の尊厳のためにするのです。生産コストを下げるためにするのです。ですから企業秘密以外の安全管理の全てを公開すべきと思います。
(2)原子力発電現場で軽微な事故は数多く出ます。ネジの緩み、配管の振動、装置の異常な振るえ、温度制御の精度低下、工場の一部だけの停電、安全を守るセンサーの故障、などなど数え上げたら多くの小さな事故が起きます。安全管理をしている技術者は日常の軽微な事故防止に努力します。しかし不幸にも人身事故が起きた場合は自分の倫理的信念にもとずいて自由にマスコミへ事故内容を発表するほうが良いと思います。アメリカのプロフェショナル・エンジニアーという職業資格ではこの自分の信念にもとずいた行為を技術者の義務として重要視しています。
日本では文科系役人が情報公開決定の決定を行います。技術者の倫理的公開をしないように抑えると聞いています。「もんじゅ」の長期的な訴訟によって、技術者の内部告発が奨励するような社会的環境になってきました。しかしその風潮はまだ弱いと思います。原子力発電現場の安全管理と周囲の住民の安全のためには技術者による内部告発が非常に有効と思います。日本の技術者にはそのような義務感があるでしょうか?会社の経営者はそれを許す寛大さがあるでしょうか?
以上、要約すると、(1)長期訴訟の結果、一見情報公開が進んだように見えるが、真に安全に繋がる情報の公開は一向にされていない。(2)原子力産業技術者の内部告発が職業的義務として公認されていない。この内部告発こそが原子力発電の安全を保障するには非常に効果的である。
ご興味の無い方々にはつまらない話題とは思いますが、もう少し続けさせて下さい。(続く)