後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

原子力発電が好きですか?嫌いですか?(4)高速増殖発電炉「もんじゅ」訴訟の結果の良い影響

2009年02月12日 | うんちく・小ネタ

原子発電炉の「もんじゅ」の1985年から2005年までの20年間の大型訴訟には種々の効果がある。単に1億6000万円の休止中の保守管理費用の浪費だけではない。しかし種々の効果の良し悪の評価は、原子力発電の賛成の立場に立つか、反対の立場に立つかによって分かれる。前記の通り小生はどちらの政治的な立場にも立たないであくまでも技術者の立場から2つの問題を提起したいと思う。

(1)原子力産業分野の情報公開が進んだ。しかし、真に必要な情報公開をしているか?

(2)技術者が倫理的信念にもとずいて内部告発した場合の技術者の社内立場を守る法律や条例が作成されなかった。マスコミはこの問題を少ししか取り上げなかった。

ここで(1)と(2)についてもう少し具体的に補足しておきたいと思います。

(1)については「もんじゅのナトリウーム漏洩事故」を検索すると物凄く詳細な、そして専門的な事故原因と改良工事の情報が豊富に出てくる。「もんじゅ」運転団体側(現在は独立行政法人の日本原子力開発研究機構)からインターネット上の発表したものである。

しかし発表の仕方があまりにも専門的で、詳細なのでその分野の技術者でないと理解できない。事故は簡単に言えば2次冷却用のナトリウーム循環流のための鉄合金のパイプが疲労破壊してナトリウームが流れ出したことである。

流れ出したナトリウームが床材と激しく反応して爆発し、一部は屋外へ排気されたのである。2次冷却用のナトリウームは弱い放射能しか含んでいないので環境の被害は極く限定的なものであった。微弱な放射能は別にすればこの程度の爆発事故は高温の金属融体を取り扱う工業分野ではさして珍しい事故ではない。そんな軽微な事故をも公開しないという動燃の情報隠蔽体質が大問題として糾弾されたのです。

訴訟の結果、現在は必要以上に詳細を極めた事故情報がインターネットへ公開されています。しかしこれは一種の隠蔽的な効果をもたらします。

一般に高温工場での事故は、軽微な事故1000回あるとその1回は人身事故になると言います。従って民間の工場では日常の軽微な事故の記録とその回数の減少が安全管理の目標になります。

従って原子力発電現場が情報公開をするなら日常起きる軽微な事故の内容とその減少のようすを公開すべきです。マスコミが騒ぐ事故だけの技術的情報を詳細に公開することは将来の事故防止には役に立たないと思います。

私の友人がある高温工業の工場長の時、人身事故を起し、その後始末とその後の防止に骨身をけずる努力をしたそうです。その苦労話をしんみり聞いたことがあります。安全管理の努力はマスコミ対策のためにするのでは有りません。人命の尊厳のためにするのです。生産コストを下げるためにするのです。ですから企業秘密以外の安全管理の全てを公開すべきと思います。

(2)原子力発電現場で軽微な事故は数多く出ます。ネジの緩み、配管の振動、装置の異常な振るえ、温度制御の精度低下、工場の一部だけの停電、安全を守るセンサーの故障、などなど数え上げたら多くの小さな事故が起きます。安全管理をしている技術者は日常の軽微な事故防止に努力します。しかし不幸にも人身事故が起きた場合は自分の倫理的信念にもとずいて自由にマスコミへ事故内容を発表するほうが良いと思います。アメリカのプロフェショナル・エンジニアーという職業資格ではこの自分の信念にもとずいた行為を技術者の義務として重要視しています。

日本では文科系役人が情報公開決定の決定を行います。技術者の倫理的公開をしないように抑えると聞いています。「もんじゅ」の長期的な訴訟によって、技術者の内部告発が奨励するような社会的環境になってきました。しかしその風潮はまだ弱いと思います。原子力発電現場の安全管理と周囲の住民の安全のためには技術者による内部告発が非常に有効と思います。日本の技術者にはそのような義務感があるでしょうか?会社の経営者はそれを許す寛大さがあるでしょうか?

以上、要約すると、(1)長期訴訟の結果、一見情報公開が進んだように見えるが、真に安全に繋がる情報の公開は一向にされていない。(2)原子力産業技術者の内部告発が職業的義務として公認されていない。この内部告発こそが原子力発電の安全を保障するには非常に効果的である。

ご興味の無い方々にはつまらない話題とは思いますが、もう少し続けさせて下さい。(続く)


趣味の「湖畔の小屋」

2009年02月12日 | うんちく・小ネタ

何度も書きましたが「山林の中の小屋」が小生の趣味です。もう35年も続けています。その延長として「湖畔の小屋」も趣味として21年続けています。もっとも、「湖畔の小屋」といっても小屋ではなく湖畔に係留した船のキャビンのことです。船を小屋に見立てて遊びに行く趣味です。そのときは舫い綱を解きません。キャビンの中でクラシック音楽を聴きながらコーヒーを飲んだり、読書をしたりして静かに時を過ごします。読書に飽きたら湖畔の散歩へでます。暖かい季節には夕方からビールを飲み、夕食にして、そのままキャビンに泊まります。朝食にベーコン・エッグなどを作ります。

昨日はこの冬一番の寒さのようです。その上暗い黒雲が覆っています。こういう時に「湖畔の小屋」へ行くと冬の季節感が深く体験出来て、何故か元気になってきます。

1970年の冬、シュツットガルトの郊外の針葉樹の森の中をよく散歩した頃を思い出します。一緒に歩く家族の吐く息が白く見える厳寒の杜の道でした。あの頃はまだ若くて元気だったと思い出すので70歳を越えた今も体が軽く動くようになるのです。

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昨日、小生は掘米庸三の「歴史家のひとり旅」を読み、家内は源氏物語の来週の講義の準備をしていました。1時間ほどの読書のあとキャビンを出て湖畔の散歩に出ました。

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サンスーシー(無憂宮)というフランス語の名前のヨットが強風に揺れています。何年か前に船主に内部を見せて貰いました。内装が綺麗で、煙突の付いたケロシン燃料のヨット専用のストーブが付いていました。外国から取り寄せたそうです。少し歩いて行くと釣り人が岩壁からワカサギを釣り上げています。霞ヶ浦にはワカサギもシラウオも多いのです。北米のブラックバスやブルーギルが繁殖しても、日本の鯉や平鮒やボラなどの魚も仲良く住んでいます。その上中国の大きな蓮魚なども住んでいます。湖の中も国際化しているのです。もっと歩いて行くとシベリアから渡って来た小型のカモ類が立ち騒いでいます。灰色で見かけの悪い野性的な鳥です。人間を警戒して、餌をやっても逃げて行くだけです。自然がそのまま残っているようでかえって気持の良い光景です。餌付けに慣れて日本に住み付いてしまう渡り鳥を見ると不自然な感じがして、決して良い光景ではありません。

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岸辺の散歩道をもっと歩いて行くと大きな葦が鬱蒼と生えています。水の浄化のために植えたものです。芦の向こうに豪華なヨットが見えます。「ああ、いつかお金持ちになったらあのようなヨットを買いたい」、と見果てぬ夢を楽しみながら、岸部の道を歩いて行きます。霞ヶ浦は周りが良く手入れされていて、遊歩道の所々にあずま屋もあります。

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葦の向こうで、デンギーが強風の中を出港していきます。 強風を無理して危ないな、と思ってよく見ると、後ろにコーチの乗ったモーターボートがついて行きます。来年、国体へでも出ようとしている学校のヨット部のようです。

堤防の上の散歩道から葦の側へ下りて、その大きさを写真に撮りました。人間の背丈よりもはるかに大きいのです。

寒くて、でも新鮮な湖の風に吹かれて1時間後、キャビンの中へ帰ってきました。

熱い天ぷら饂飩を作って昼食。午後は27年間動いているジーゼルエンジンの前に座り込んでオイルの交換を丁寧にしました。汚れたオイルをポンプで出来るだけ吸い出して、更に新しいオイルを入れエンジンンの中を洗い、またそのオイルを吸い出すのです。綺麗なオイルを入れてオイル交換完了。エンジンをかけて、しばらくバッテーリーを充電しました。次回は暖かい晴天のに来て、メイン・セールを上げてセイリングするつもりです。

趣味の「湖畔の小屋」の日記でした。つまらない話で失礼致しました。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。    藤山杜人