最近、美しい死後の世界を想像して記事として掲載しました。それに対して趣味人倶楽部と、 BYOOLというSNSの会員の方々から温かいコメントを頂きました。
それで分かったことですが、美しい死後の世界は、亡くなった家族を愛していた人々が創りだしたものだということです。そこには亡くなった愛する人が楽しく住んで居ると信じたいのです。その願望が美しい死後の世界の存在を確信させるのです。
老人になってみると、亡くなった家族を思い出しながら、一層強く愛している自分に気が付きます。従って死後の世界の存在を、私も確信します。
以下のコメントをご覧下さい。
三円亭円歌さんより、
私の曾おばぁちゃんは、三途の川を渡ろうとしたら、後ろから声がしたので、渡らないでこちらにもどってきた、と言っていました。子供であった私に冗談を言ったのでしょうか。
今はお花畑にいるのか、地球の土に戻ってしまったのか、分かりませんが・・・ムムム。居なくなってさびしいです。輪廻するのであれば、どこかに生まれかわってもどっているもんでしょうか?===
このコメントを下さった方は曾おばぁちゃんが大好きだったのですね。土にかえったとは思いたくありません。輪廻してどこかで楽しく生きていてもらいたい。そんなニュアンスの文章です。
ですからこそ他人は死後の世界を否定したり、科学的に証明できないので信じてはいけないとか言ってはいけません。これは肉親同士の美しい愛情の問題なのです。
もっとはっきり言えば、亡くなった人を愛するあまり楽しい死後の世界を信じている人々を、私は好きです。科学的に、賢く否定する人は肉親を亡くして悲しんでりる人々への思いやりがあるのでしょうか?
これは感性の問題であって知識の有無の問題ではないのです。豊な感性に助けられて人類は楽しい、豊な文化を育てて来たのだと思います。
例えば、BYOOLというSNSでは心臓の難病で苦しんでいる敬助君を助ける会を広報しています。(http://rescuekeisuke.ifdef.jp/http://rescuekeisuke.ifdef.jp/ )
敬助君の為に何ができるのだろうかと何度も考えました。
昨日、甲斐駒の麓の山林の中の道なきヤブをさまよい歩きながら考えたことです。孫達の歓声を聞きながら歩き回りました。
冬には珍しく、4月のような暖かい一日でした。(終わり)