後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

私は自衛隊員へ同情する

2009年06月01日 | 日記・エッセイ・コラム

昔、私は大学で工学の研究をしていました。したがって自衛隊の技術研究所のことも多少は知っていますし、自衛隊の士官から個人的に話を聞いたこともあります。

その結果、私は2つの点で自衛隊の人々へ深い同情を感じています。しかし誤解の無いように言いますが、「シビリアン・コントロールは厳守すべき!」です。

(1)自衛隊は警察の指揮下に入るという諸法律や規則。

自衛隊が国内で民間と直接まじわる災害援助の場合です。その出動は地方の自治体の長の要請がなければ出動していはいけないのです。そのうえ要請に基づいて出動した場合でも、全ての支援活動は警察の指揮下に入って行わなければなりません。

それから、自衛隊が国内を移動する場合は、一般の道路交通法に従わなければなりません。ブレーキランプが切れていたら、警察につかまり切符を切られます。

例えば、新潟海岸にある敵国の軍隊が上陸した場合、緊急移動の戦車が敵に見つからないようにヘッドライトを消して走っても道交法違反で捕まります。

どこの国でも現場の状況によって「交戦規定」が具体的に明快に決まっています。敵が上陸したら無灯火で私有地の畑や牧草地を踏み荒らして疾走しても良いと決まっています。ところが日本の自衛隊にはこれが無いのです。自衛隊の士気が上がらないのは当然です。したがって田母神氏のような感情論にもいささかの同情を禁じ得ないのです。

(2)自衛隊はアメリカ軍の指揮下で作戦行動をすることになる

この問題は日米の契約があっても無くてもこうなるという話です。それは日本の軍事技術は全てアメリカ軍から提供されているからです。技術というものを少しでも理解している方々にとっては賛成してもらえると思います。技術を提供している方とそれを受けとっている方は必然的に上下関係が出来てしまうのです。たとえば作戦を指令するコンピュータシステムをアメリカ軍が開発し自衛隊へ提供すれば自衛隊の作戦行動がすべてアメリカ軍に分かってしまいます。戦場の現場では先端的な兵器の使い方をアメリカ兵が自衛隊の兵へ教えます。このときどうしてもアメリカの指揮権が上位にきます。この状態を知ってい居る自衛隊の現場はアメリカ軍に頭が上がらな雰囲気になります。人間の自然な心情です。このような不愉快な状態を変える為には自衛隊が完全な意味でアメリカ軍から独立する必要があります。

私はこのような技術の上下をよく知っているつもりです。従って田母神氏がアメリカから自立すべしと主張したくなる気持へもいささかの同情を禁じえないのです。

同情はしますが間違った方向へ進むことには断固反対すべきです。最大の間違いは、シビリアン・コントロールを止めて、軍人が作戦行動の決裁権を持つべしという主張です。現在はそこまで極端な表現をしては居ませんが、田母神氏の議論を進めて行くとその方向へ行く可能性があるのです。ですから怖いのです。

まあ、これが私の個人的な意見です。個人的なブログへ個人の意見を発表しても良いと思いますので、この小文を掲載する次第です。皆様から、コメントを頂ければ嬉しく思います。(終わり)


我が国の平和は強大なアメリカ軍の駐留で守られて来た、そして今後も

2009年06月01日 | 日記・エッセイ・コラム

今後、我が国が、憲法第9条を改正するのか否か?そして軍備を増強すべきか否か?シビリアン・コントロールを如何にして厳守すべきか?などの問題について色々な方々から貴重なご意見を頂きました。そのご意見は当然のことながら人によって非常に異なります。

(1)憲法第9条を保持し平和外交に徹すべし、あるいは、(2)改正してアメリカに頼らずとも日本の防衛に十分な軍備にすべきである。と、いう風に武力放棄派と武力容認派に分かれると思います。

その一方で戦後の64年間に日本は朝鮮動乱でもベトナム戦争でも、そして最近のアフガニスタン侵攻やイラク壊滅戦争でも軍事基地をアメリカ軍へ提供してきたのだから戦争に参加してきたのです。国内の平和はアメリカの作戦行動へ基地を提供したお陰で守られたのです。と、いうご指摘も頂きました。

どちらのご意見の方でも日本の自立を皆様が願っています。しかし理想論や観念論ではなく、現実を率直に見れば、「我が国の平和は強大なアメリカ軍の駐留で守られて来た」ということは動かし難い歴史的事実です。強大なアメリカ空軍、第7太平洋艦隊、アメリカ陸軍、そして勇猛な海兵隊などが日本に駐留しているのです。ソ連も北朝鮮も開放前の共産主義中国も日本へ手を出すことが出来ませんでした。この状態は今後も続きます。アメリカが日本にある軍事基地を日本へ返す決定をするまではアメリカ軍のお陰で今後も平和を享受することが出来るのです。この状態は今後50年続くのでしょうか?100年続くのでしょうか?

アメリカが世界の盟主として国々を自分の傘下に入れようとする方針を変えない限り日本にある軍事基地を返還する筈がありません。

このような現実が存在するか限り、憲法第9条を改正しても、しなくても、外国から見た日本にある軍事力には何の変化も起きません。また軍備拡張をしても、その何倍もの戦力を日本に置いているアメリカにとっては問題にするほど大きな問題ではないとおもいます。日本の小さな規模の海外派兵も外国からみるとさして重要な問題ではありません。それもアメリカの要請によるのですから。

あくまでも外国から見たら、憲法第9条も日本の軍拡もどうでも良い小さな問題です。アメリカが日本に軍事基地を有することのほうが重大な問題なのです。

結論を言えば、「日本の将来の平和はアメリカが駐留する方針を変えない限り守られる」という事実だけが残ります。自尊心の強い日本人がそれをどのように感じてもどうしようもない現実です。現実は現実として受け入れる素直な態度も平和を守るために重要な態度です。

そのように考えますので、日本の将来の軍備とその運用方法については議論するのは休みのします。それでは自衛隊の現場を知っている田母神氏が何故極端な意見を言いたくなるのか?その心情は察するにあまりある部分もあります。しかしそれは別問題なので別の記事として掲載します。

最後に、日本の防衛問題という難しい問題の記事をお読み下さったり、体系的なコメントをお送り下さった皆様へ深甚な感謝の意を表します。(終わり)


日々新鮮な感動で生きるために

2009年06月01日 | 日記・エッセイ・コラム

老年になってくると毎日が何故か新鮮で、輝いているように感じる時があります。日々、いよよ華やぐと言った人もいます。しかし正直に言えば毎日そんな気分にはなれません。体の調子がなんとなく悪い日もあります。子供や孫が病気になったりもします。自分が病院へ行く日もあります。とにかく、とても毎日、新鮮な喜びで満たされるというわけにはいけません。

ところが毎日、毎日、身の回りの花や鳥に感動して写真や文章をブログに出している人が居ます。「日々生きること」というブログを書いている、ちひろ さんという方です。琵琶湖の湖岸に夫とともに住み、ご高齢にはまだまだ間がありますようで、車で通勤し、働いています。毎日の通勤の途上、美しい空や花を見て感動しています。車を止めて写真を撮ります。休日には車を駆ってあちこちの風光明媚な所へ行って風景写真や、水鳥のいきいきした写真を撮ってきます。その時のみずみずしい感動を文章にして写真へ添えます。

この方の感性豊かな写真に感動して、以前何度もこのブログでご紹介してきました。

今日は写真だけでなく文章が若々しい感性で書かれていることをご紹介したいのです。将来の希望に燃えた少女時代のような雰囲気の文章が毎日掲載されています。

彼女の今朝のブログには久しぶりに美しく晴れ上がった青空の写真があり、「空があり花に出会い人に育まれて命燃ゆ 」という一文が添えてあります。

日々、気持が落ち込んだり暗い気持ちになったときは、http://blog.goo.ne.jp/hanamusasi をクリックしてお元気になって下さい。

下には最近の ちひろ さんのアジサイとカラーの写真を掲載いたします。

今日も皆様が新鮮なお気持ちで一日を過ごされるようにお祈りいたします。 藤山杜人4d88fc08e1e52eb1d1b075b4dc9e3253Cef72c95a6b6486df99e615ae4404c85