後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

あまりにも貧しかった頃と現在の風景写真の比較(1)未舗装の道路!

2009年06月16日 | 日記・エッセイ・コラム

小金井市教育委員会が古い市内の風景写真をCDにして今朝から売り出しました。早速買って来て、JR中央線北側にある自宅の前のバス通りの、1964年(昭和39年)と現在の全く同じ地点から国分寺方向を見た写真を比較の為に掲載します。

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更に当時の武蔵小金井尾駅北口広場のぬかるみの様子とトラックを改造した貧しげなバスの写真を下に掲載します。私たち一家が小金井にj引っ越してきたのがこの1964年でした。

すっかり忘れていましたが、当時の日本の酷い貧しさを思い出して、吃驚しています。(続く)

(写真の出典:小金井市教育委員会、編集・発行CD「写真でたどる昭和の小金井」より)

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流れる雲のように過ぎて行くネットの友人達

2009年06月16日 | 日記・エッセイ・コラム

貴方にはネット上で何人の友人がいますか?

お互いにコメントやメッセージを交換し、親しくなり本名とメールアドレスを送り、メールの上で付き合っているような人をネット上の親友と言えます。この様に親しい友人は私の場合は数名程です。この様な友人はかけがえの無い友人と思います。

しかしちょっとの間だけ急に現われて、フッと消えて行く大切な友人も居ます。丁度、青空を白い雲の塊が次から次へと流れるように、現われては消えて行きます。自分のブログへ掲載した写真や文章へ印象深いコメントを数回下さって、そして、スウーッと居なくなるのです。あるいは1回だけ強く印象に残るコメントを送ってくれ、その後二度と帰って来ない人も居ます。

このような体験は実社会ではあまりありません。初対面の挨拶の時の名刺の交換からお付き合いが始まります。ですからネットの場合のようにフッと消えてしまうことが無いのです。

少し抽象的に言えば、「深い心の交流の出来る人」を友人と思います。

そうしますと、ネット上の友人も実社会での友人も違いは有りません。ただ一つの違いは本名と住所が分かっているか否かだけです。

人生も老境になると実社会で知り合った友人や恩人が次々に亡くなってゆきます。白い雲が流れ去るようです。自分も色々な病気になり、旅立ちの日が少しずつ見えてきます。自分自身もやがては流れる雲になるのです。

ネット上の友人と実社会の友人の違いが曖昧模糊として来ます。老年にはむしろネット上の友人の方が現実味を持ってきます。より大切になって来ます。

しかし、ネット上の友人がある日、フッと消え去っても残念がるのは止めましょう。自分の心の中に生きているのですから。自分もある日、ネット社会から消えるのです。

消えた友人へ感謝の気持ちと限り無い愛惜を送るだけです。(おわり)

今日も皆様がネットの上で良い友人にお会い出来ますようにお祈り致します。藤山杜人