後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日本の高度成長とバブル崩壊の後で残った欧米のQuality of Lifeとの格差

2009年06月19日 | 日記・エッセイ・コラム

個人一人あたりの年間収入や銀行貯金高を比較すると日本人は世界のトップクラスになる。しかし生活の質は欧米先進国に比較するとまだまだ貧しいのが現実です。

新幹線の乗車料金や高速道路の通行料が格段に高いのです。近所にある美術館の数が少なく入場料金が高いのです。クラシック音楽会の入場料が高いのです。ヨットやモーターボートのマリーナが少ない上、係留料が高いのです。住宅が小さい上に値段が高いのです。その上、住宅が密集していて周りに緑豊かな林が無いのです。

都会には病院が多いのに地方には少なすぎるのです。東京や大阪に良い学校が集中しすぎているのです。すべてQuality of Life を低い方向へ引っ張っています。

何故このような社会現象が改善されないままになっているのでしょうか?それは政治家だけが悪いのではなく、人々一人一人が人生の質というものを深く考えないからだと思います。お金があれば外食や美食で使ってしまう。それは「宵越しの金は残さない」という文化が関係しているのかも知れません。

日本人の人生の質を考えると欧米・・・スウェーデン、ノルウェイ、イタリー、スペインはおろか東ヨーロッパのポーランドやロシアにも劣っているかも知れません。それで大雑把に言って世界20位と申し上げているのです。(理由の一つは、欧米諸国のアフリカ、アジアの植民地からの富の蓄積が社会資本として残っているからです。)

自由民主党に代わって民主党が政権を取っても何も変わりません。

人々が人生の質とは何か?どうしたら向上できるか?深く考えて、政治家に提案しないと一向に変わらないと思います。

皆様は日本の将来をどのようにすれば良いのか?具体的にお考えでしょうか?政治家に考えてもらうという態度は民主主義とは違うと信じています。

ご意見を頂ければ嬉しく思います。(終わり)


日本の高度成長とバブル崩壊の後で残った歓迎すべきいろいろ

2009年06月19日 | 日記・エッセイ・コラム

1964年の東京オリンピック開催、新幹線の開業、高速道路の開通、から高度成長が始まったと言います。その経済が泡のように崩壊したのが1990年頃です。経済分野によって崩壊現象の起きた時期が少しずつ違うので「頃」と言います。1990年頃の日本のGNPはアメリカに次いで世界第二位でした。そしてその後でバブル経済の崩壊が起きたのです。

バブル経済の崩壊によって倒産したり、失業した人々には現在でも深い同情を感じています。しかし高度成長時代の拝金主義が消え、世にはばかっていた社用族が消え、社会全体が静かな健全な雰囲気になったのです。そのことは私にとってとても嬉しいことでした。そして人々のモラルが上がりました。

遠方に山小屋やヨットを放置状態にしている私には、この社会モラルの急激な向上が体験できたのです。

1990年以前には、山小屋の周りに勝手に入り込みビールやジュースの空き缶を捨てる人がいました。ヨットの上に無断で登り、そこから釣りをする人が居ました。ところがバブル経済の崩壊後はその様に無作法な人が消えてしまったのです。日本人の民度が急に上がったようで嬉しい限りです。

そのころから日本人は経済以外の分野で世界的な活躍を始めます。絵画、彫刻の分野は当然にして、ヨーロッパのオーケストラやオペラの世界で常任契約をして活躍する音楽家が増えて来ました。それと同時に海外の貧困国で人々を助けるボランティアの数も増えて来ました。

我々戦前生まれの日本人はなんとはなしに欧米人に対して劣等感を持っていました。しかし近ごろの若い人たちはその様な感情を一切持っていません。欧米人もアジア人も黒人も何の違いも無く、ごく自然体で付き合っています。そのことが私にとって非常に嬉しいのです。

経済の高度成長とバブル経済の崩壊の両方があったお陰で日本人の社会から拝金主義が消え、社会全体が芸術や文化を重視するように変わったのです。こんな嬉しいことは有りません。もちろん毎日の新聞には相変わらず凶悪犯罪や汚職のニュースが絶えません。しかし戦後の荒廃した頃の日本の犯罪の数や凶悪ぶりに比較すると改善の方向へ変化していると思います。

巨視的に考えると日本は益々良い国、そして住み良い国になっていると思います。しかしまだまだ改善の余地が大きいのです。それはGNPで世界第二位になっても生活の質は世界第20位と推定されるからです。世界で第20位くらいとは私が大雑把に申し上げている数字です。信用なさらないで下さい。それにしてもなぜ20位と私が思っているのでしょうか? その理由はこの記事のすぐ後の続編でご説明致します。(続く)


日本の高度成長ぶりを写真で見る

2009年06月19日 | 写真

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上の写真は1963年に小金井市本町小学校西交差点から北に向かって撮影した写真です。私達一家が小金井市のこの近所に引っ越してくる前の年の風景です。道路は砂埃の舞い上がる土の道で、交差点には信号機が一切付いていませんでした。道の左手に酒、味噌、醤油、野菜などを売るよろず屋が一軒あるきりでした。その周囲には畑になっていて野菜が伸びています。この道の奥の左側には現在は消防車庫になった火の見櫓があり、その向こうは当時としては贅沢な鉄筋コンクリート4階建ての公務員住宅が並んでいました。引っ越してから食料品はこのよろず屋から買っていました。仲良くなりずいぶん長い間のお付き合いでしたが現在は有りません。

下の写真が現在の同じ場所の写真です。道路の左にある果物の看板のある八百屋さんが昔の万屋の跡地で商売をしています。

日本の高度成長の結果、土の道は完全舗装され信号機も付きました。道路の両側から畑が消え、住宅や商店が綺麗に並んでいます。泥や土埃が完全になくなり清潔な街路になりました。その後、この通りで繁盛していた肉屋さん、本屋さん、電気屋さん、お茶屋さん、写真屋さんなどの個人商店が数年前から一軒一軒と消えて行きました。スーパーや大型店のみが生き残りました。日本の経済の高度成長のお陰で我々の生活レベルは格段良くなったのです。

下の写真と比べて見ると1963年の日本の貧しさが肌に感じることが出来ると思います。

日本は経済的には世界の一流国になりました。しかし経済分野以外ではどうでしょうか?

続編で少し反省をして見ます。

なお1963年の写真の出典は、小金井市教育委員会、編集・発行CD「写真でたどる昭和の小金井」 です。(続く)

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外国で日本の自慢をしますか?何を自慢しますか?

2009年06月19日 | 日記・エッセイ・コラム

外国で堅苦しい夕食会のあとで丁度2次会のように気の合った仲間だけが集まってビールを飲むことがあります。肩の力を抜いて、気軽に会話を楽しみます。そうすると故郷の自慢話になることもあります。私は、春に爛漫と咲き誇る桜の美しさ、富士山の均整美、山の紅葉の艶やかさ、などを自慢します。それに犯罪が少なくて町が清潔です。とにかく旅行を心から楽しめます。しかし私がいくら自慢しても皆はあまり感心しません。そのようなことは外国の新聞やテレビで先刻ご承知だったのです。

ところがある時、非常に熱心に聴いてくれた話をすることが出来たのです。それは260年にわたる隠れキリシタンの話でした。

特に1865年、フランス人のプチジャン神父が、長崎の大浦に天主堂を建てたときの隠れキリシタンが出現した話をすると皆が熱心に聴いてくれます。

現れた隠れキリシタンの一人がプチジャン神父へ言います、「神父様、われわれは幕府の禁教に耐え、キリスト教の信仰を260年間、捨てませんでした。いつかは海の向こうから神父様がもう一度やって来て天主堂を建ててくださると、世々代々信じてきました。それがこの大浦の天主堂なのですね」

日本人ならよく知っているこの話を欧米人は知らない。外国のマスコミには出ない話なのです。ですから、1865年に大浦天主堂でプチジャン神父が体験したこの話をすると皆素直に感心してくれます。そして、そんな例は欧米には無いと言う。そして急に日本人を尊敬するような話を始めるのです。中央政権の圧政に根気よく耐えながら信仰を守ることの出来る民族は素晴らしい。と、言ってくれる人も現れました。

この話は日本の自慢話の決定打と思い度々使いました。しかし、その導入にはまず仏教の話をします。そして日本がどんなに素晴らしい仏教国かという話をします。

つい長い話になるので、皆でビールを飲む会が長時間になるときの自慢話です。短いパーティーの時はしません。さて皆様の日本自慢の話はどのような内容でしょうか?

最後に大浦天主堂の内陣の写真を2枚添えます。出典は:http://park10.wakwak.com/~cdc/nagasaki/ouracatc/index.html です。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。 藤山杜人

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