今日は日曜日で、教会のミサに行ってきました。今日の朗読はマルコが書いた福音書のある部分です。イエスが弟子たちと船でガリラヤ湖を渡ろうとした途中で突風が吹き、難破しそうになります。ヨットを趣味にしていると同じような経験をします。突然、突風が吹きつけ、マストが水面に着きそうになるまで船が傾きます。恐怖のあまり舵にしがみつきます。数秒の後、船が立ち上がり、何事も無かったように静かに走り出します。実に不思議です。そうかと思うと晴天にもかかわらず大波がザワザワと来て船が大揺れします。船が一旦港を出たら何が起きるか分かりません。ガリラヤ湖も大きな湖なので急に波が荒くなり、突風が吹きます。キリストは揺れる船の上で気楽に眠っています。一緒に乗っていた弟子たちがキリストを起こし、恐怖のあまり、「先生!わたしたちがおぼれてもかまわないのですか?」となじります。
するとキリストは風と湖へ向かって叫びます。「黙れ! 静まれ!」と。
イエスの不思議な力を信じないで騒いでいた弟子たちはイエスを恐れて言います、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」。
この場面で何故急に風や波が静かになったのでしょう?ヨットを趣味にしているとよく分かるのです。怖くても我慢していると自然に静かになることがよくあります。イエスさまの力でないのです。
ところが信者である小生はこの場面はやっぱり奇跡の一つだったと信じています。多少疑ってはいますが奇跡と信じています。「教養としてのキリスト教」シリーズではキリスト教の表面的な知識を与えるのではなく信者の心の内面を説明することに重点を置いています。
さて今日の山本量太郎司祭様の説教では上の場面に関連した話です。難破しそうになった船はよく教会に例えられるそうです。教会が世間の荒波に揉まれても、イエス様の力さえ信じていれば絶対に難破などしないという趣旨の話でした。ある教会が莫大な財産を作ったが、その財産を守る心配で色々な問題が起きた例も話してくれました。
蛇足ながら、何故イエス様は弟子たちとガリラヤ湖を船で渡ろうとしたのでしょう?
向こう岸は異教徒のゲラサ人が住んでいたので、その人々へ話をするために船です。こうしてキリストはガリラヤ湖の付近を縦横無尽に歩いて宣教したのです。その間はたった4年という説もあります。とに角、数年という短い期間だけです。32歳のころ磔の刑で死にました。そして生き返り、復活するのです。(続く)