後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

1970、昭和45年まで小金井市は米の生産地でした

2009年06月29日 | うんちく・小ネタ

小金井市の南半分を西から東へ流れる野川の周辺は広い水田地帯になっていて1970年、昭和45年まで米の生産地でした。下にその頃の水田の写真を示します。そのさらに下の写真は先ほど撮ってきた現在の様子です。水田跡は東京都立武蔵野公園の広場になっています。

昔の写真の出典は、小金井市教育委員会、編集・発行CD「写真でたどる昭和の小金井」 です。

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都会の片隅にある ささやかな しあわせ

2009年06月29日 | 日記・エッセイ・コラム

東京で裕福なカップルは銀座、六本木などで遊びます。しかし質素なカップルが楽しそうにしてる場所があります。JR浜松町駅から竹芝桟橋へ歩き、そこから南隣にある日の出桟橋へ行きます。お台場行きの船にのります。下の写真のような船です。片道460円。レンボーブリッジの下をくぐり、お台場に行きます。30分毎に日の出桟橋とお台場を往復しています。

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30分でお台場です。下の写真にあるように、若いカップルが何組か船の屋上にいます。

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船着き場を上がってところに下の写真のようにショッピングモールが有ります。映画館コンプレックスもあります。2棟の8階建てのビルがお台場の商店街です。

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建物の7階と8階は香港の町並みを再現し、香港料理店が並んでいます。下の2枚の写真がその様子を示しています。

行った時は土曜日の12時頃でしたのでどの店にも若いカップルが沢山いました。皆静かに昼食を食べています。大声を上げる人は居ません。ささやかな しあわせ を見るような光景が広がっていました。(終わり)

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それにしても暗い青春時代だった!

2009年06月29日 | 日記・エッセイ・コラム

18歳 の高校入学から1958年、22歳の大学卒業。そしてさらに2年間の大学院生活の仙台での人生は暗かったのです。前に書いた通り、貧乏暮らし、父親からの圧迫が青春を暗くしました。しかしもう一つの原因は自分の容姿へ対する劣等感が私の青春時代を押し潰し、暗黒の時代にしていたのです。

皆様はご自分の容姿に劣等感を持ったことはありませんか?

戦前の生まれの私は短足、背丈が低く、栄養が悪いので顔色も悪いのです。容貌魁偉と言うほどではありませんが、女性が寄ってくるような顔ではありません。今風に言えばルックスが悪いのです。学校の先生は「人は見かけで有りません。心の持ち方で美しくなるのです!」と力説します。なんと空々しい説教なのか、と思ったものでした。

容姿に劣等感があるから若い女性には普通に話が出来ません。ですから女友達は皆無です。暗い青春です。

24歳の夏、アメリカ留学のため仙台を出発する2ケ月前にお見合いをしました。相手は東京に住んでいる大学を卒業したてのお嬢さんです。お見合いの次の日、結婚を申し込んだら良い返事です。現在冷静になって考えると美人というほどではありませんでしたが、当時はかなりの美形に見えたのです。それよりも両親の育て方が良かったしく素直でのんびりしています。性格が良いのです。すぐに婚約をし、翌年、アメリカへ呼んで結婚式を挙げました。途端に自分の容姿へ対する劣等感が嘘のように消えてしまいました。

この時、しみじみ思ったことは「人間の劣等感は心の迷いに過ぎない!」ということでした。

人並みに子供も2人出来、孫も3人います。

23歳で結婚した家内はすでに72歳。素直でのんびりした性格はお見合いの頃と変わらない。

しかし容姿といえば当然のことながら「元お嬢さん」になってしまった。

よく青春時代は人生で一番楽しい時代といいますが、逆に一番暗く、苦しい時代の人生を送る人もいると思います。皆様の青春時代はいかがでしたか? (終わり)

今日も皆様のご健康と平和をお祈りします。 藤山杜人