後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

昨年、潮来から買って来たアヤメの3輪目が咲きました

2009年06月12日 | 写真

004 今日は2日ぶりに晴天になり初夏のような風が吹いています。急に気温も上がったせいか、アヤメの3つ目が見事に咲きました。昨日咲いた2輪目を背景にして写真を撮りました。

一年間、水盤の水を絶やさないように世話をしてきた甲斐がありました。

平凡な写真ですがアヤメの花びらの色の不思議さをお楽しみ頂ければ嬉しく思います。(終わり)


梅雨の季節感を撮影する

2009年06月12日 | 写真

雨は一年中降ります。ですから雨しずくをそのまま撮影しても梅雨の季節感が出ません。皆さんがどのように撮影しているかあちこちのブログを見ています。そうしたら昨日、BYOOLというSNSのメンバーのhanaさんの写真がとても梅雨の季節感を表現していることを発見しました。http://papermoon2.exblog.jp/i0/ をご覧下さい。この中から3枚の写真の転載をお許し頂きましたの、ご紹介いたします。

hanaさんはいつもこのブログへコメントを下さる方です。すべてに折り目正しく、色々なイベントのお世話も適切にしていらっしゃいます。BYOOLにとって重要な方です。

1枚目の写真は緑が濃くなった葉の先の雫を撮ったものです。2枚目は雨空の下の暗い公園を少女が2人歩いています。木々の枝の下が暗い様子が梅雨を感じさせます。

3枚目も梅雨の季語のようなアジサイの写真です。背景をぼかして、梅雨の朦朧とした感じをだしています。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。(終わり)

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暗く苦しい私の青春時代

2009年06月12日 | インポート

一般的に青春時代は生涯のなかで一番華やかで楽しい時代と言います。しかし私の青春は暗く苦しい日々でした。1936年、仙台で生まれ、1960年に仙台を脱出しました。1951年、高校へ入学、1958年、大学を卒業しその2年後にオハイオ州へ留学します。故郷を出発したときは不安もありませたが、それ以上に晴々とした気分でした。1951年の高校入学から1960年までを私の青春時代と思っています。

暗い悲しい青春の原因は3つありました。戦災で荒廃した仙台では、1951年になっても食糧難が尾を引いていました。ひもじい思いと貧弱な衣料事情、狭い家などの生活苦がまだまだ酷かったのです。

それに若かった私は話下手で女性の友人がいません。女性には嫌われているという劣等感が日々を暗い気分にさせます。しかし、このような事情は、他の男性の友人にも多かれ少なかれあるようでした。

私のもう一つの原因は高圧的な父の存在でした。苦学して、仙台の大学で若くして教授になっていました。従って長男の私には、「偉い学者になれ!」と一方的に圧力をかけます。その上、父は子供に対して情が厚く、母親のように細かなことまで世話を焼きます。日常の些細なことまで口うるさく注意するのです。鬱陶しくてたまりません。

大学を卒業したら、「仙台を脱出するぞ!」。これが我が青春の標語でした。

脱出する方法をいろいろ考えました。東京に出る。あるいはアメリカへ留学する。この二つを実行しようと準備をしました。

ところがある日、想像もしていなかった展開が起き、アメリカ留学が決まったのです。その話は長くなるので「続編」で致します。

郷里を捨てて東京へ出る。その頃、地方に住んでいた多くの若者の夢でした。郷里に居る間は閉鎖的な暗い青春の人も多かった筈でした。時代と言えば、そんな時代だったのです。

(続く)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。    藤山杜人