素晴らしい絵画に解説は不要です。それなのに教養ある文化人が賢げに解説している場面を良くNHKのテレビで見ます。(NHKだけではありませんが、、、)。
しかしその絵を描いた画家自身がどのような気持ちで描いたか話をするなら別です。その絵を一層深く楽しむことが出来るからです。画家とその絵の一部を共有出来るからです。まず下の三輪修さんの絵をご覧下さい。木曽川の風景を描いたものです。ジッと数十秒息をつめてご覧下さい。
次にこの絵を描いた時の三輪修さんの気持ちを書いた下記の小文をお読み下さい。次にもう一枚の絵を示します。
「甦る記憶との間で・・・」
先日、行きつけの画材屋さんへ絵具を買いに行った帰り、急に私の生まれ育った場所に行きたくなり、車を走らせました。私が生まれ育った所は、尾西市という街で、昔は織物業が盛んで、織機の音が一日中聞こえていました。車が目的地の近くになった時、幼い頃見た風景とはまるで違った建物や看板が目立ちはじめ、がっかりして車を路肩に止めました。
しかし、ふと傍らに目をやると、見覚えのある小川があり嬉しくなりました。ここでいつも四手網を川下に置き、竹竿で川底をつついて、鮒、泥鰌、ザリガニなどを追い込むと、網も破れんばかりに捕れたものでした。その時の嬉しかった事、友達の笑い声、光の暖かさ、魚の匂いなどが、ピンホールカメラの写真のようにぼんやりと目の前に現れ、幼い日の楽しかった日々がおぼろげに甦ってきました。 大人になってからは、こういった感動は、普段あまりないのですが、それでも旅をした時などは、新鮮な驚きや感動を覚えます。家に帰って日常に戻っても、その余韻はぼんやりと心に拡がり、子供の時に覚えたような、ある種のノスタルジーとして記憶されます。
ところで、私の絵は、そういった過ぎ去った時と未来との間で、私の中で熟成された、時間、空間、温度、他に目に見えない何かを現わすことが出来たらと願っています。(みわおさむ)
次にもう一枚の絵を示します。「パリの橋」という題の絵です。この絵は1996年作の油彩画です。
この絵について三輪さんから文章は頂いていません。この絵の解説はしませんが、私の感想を一行だけ書きます。この絵はパリの過ぎ去った時と未来の間で、三輪さんの心の中で熟成された、時間、空間、そしてそれを包むもろもろの人々の生、目に見えない何かを現わそうとした絵ではないかと感じています。
神から貰った三輪さんの卓越した才能(タレント)へ祝意を表します。 (終わり)
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今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。 藤山杜人