私が尊敬していて、直接指導を受けている方はカトリック小金井教会の山本量太郎神父様です。尊敬しています。一生独身を通さなければ神父になれないのです。それだけでも凡俗な私は尊敬してしまいます。説教も深い内容で、私の信仰の上での先生です。しかし私は山本神父様を100%は信用していません。
銭本さんは幼児洗礼を受け、第二次大戦中は、あるプロテスタンの教団を100%信用していました。真面目なご性格だったので当然な生き方でした。そのような人を私は尊敬します。ですから彼の長い告白文を何回にも分けて連載したのです。
彼の信用していた教団は大政翼賛会へ協力し、信者を戦争へ駆り立てたのです。敗戦後一切の反省もなくその教団は活動を続けたのです。銭本さんはそのような教団に失望し非常にショックを受けます。その上、日本と戦ったアメリカ軍には必ずキリスト教の従軍牧師がついていた事を知りました。キリスト教の聖職者が戦争に協力していたのです。銭本さんは棄教する決心をします。そんな宗教に愛想が尽きたのです。ごもっともです。
しかし、と私は声を大きくしたいのです。銭本さんの根本的な間違いは聖職者という位を持った人間を100%信じてしまった事です。イエス様のことを直接信じなかった事です。イエスさまと直接会話をしなかった事です。宗教とは人間ではなく神を信じることです。仏教でも全く同じです。色々な宗派の偉い指導者を尊敬はしても、100%信じてはいけません。お釈迦様と直接会話をする訓練をしないと大変なことになります。
どんな宗教でも聖職者は弱い、普通の人と同じくらい弱い人間なのです。戦争に協力して自分の権威を守ろうとします。「イエス様、聖職者は戦争に協力して良いのですか?」と聞いてみて下さい。「私はそんな事は言った憶えは無い。戦争に協力する者は私の教えを信じない者だ」とおっしゃると思います。教団の組織を守るために戦争に協力しろとイエス様は絶対に言いません。教団は人間の利己心から出来るものです。そのような宗教の聖職者や教団指導者を100%信用してはいけないのです。
聖職者の役目は自分の弟子を作ることではないのです。イエス様を愛する弟子を多数作ることが役目なのです。
これは芸術や学問の世界でも同じです。芸術の指導者は自分の芸風を教え込んで子飼いの弟子を作ってはいけません。芸術を真に愛する「芸術の弟子」を作るのが本当に偉い先生です。学問の世界では自分の言いなりになる直弟子を沢山作りがちです。本当に学問が好きで、学問を愛している弟子を沢山つくる先生が偉い先生なのです。子飼いの弟子より、「学問の弟子」を作るべきです。私は現役の間、残念ながら自分の言いなりになる直弟子だけを大切にしました。これは大失敗でもあり、老境に入って深く、深く反省していることです。この失敗は次第に大きな悲しみに変わって行きます。
話がそれました。銭本さんしの間違いを明記しましたが、自分は職業上で同じ間違いをしてきた事を明記します。銭本さんへ対する失礼な内容の文章でしたが、彼は必ず私を許して下さると信じています。(終わり)