幸い老境まで生き長らえることが出来ました。この一生を振り返り色々想うことが多い毎日です。その中で何時も不思議にう思うことは「女性の無限の優しさと素晴らしさ」です。特に老齢に入ると外で会う、見知らない若い女性が親切に、優しく接してくれます。男性だけに優しいのかと思うと、家内も同じ意見です。デパートの若い売り子がとても親切にしてくれると言います。そこで長い一生の間に観察してきた女性という存在を考えると、「素晴らしい存在だ!」という結論に至ります。母性愛のことは言うまでも有りませんが、女性は愛の力で何でも解決してしまいます。
勿論、女性特有の「どうしようもない悪さ」や「論理無視の直感的行動の弊害」に困らされたことは皆様もご同様と思います。
しかし、深く考えて見ると女性の素晴らしさ、優しさ、愛する力などには神秘的な驚きを禁じ得ません。人類の悠久の歴史の中で何時の世にも女神が存在して来ました。
宗教が原始宗教から高等宗教に変わっても女性の神秘的な力が信仰の対象になっています。
佛教では観音菩薩さまです。観音様は男性でも女性でも有りませんが、女性の優しさ、慈悲の心がみなぎった仏像として信仰されて来ました。巨大な観音像が全国にあります。素朴な人々は観音様を女性と思って信仰しています。それで良いのです。実際、山林の中の小屋へ行くとき必ず見る「韮崎の大観音さま」の胸には女性としての突起がついています。我が家では「オッパイ観音さま」と呼んで、子供が小さい頃から親しんできました。
ひるがえって、キリスト教でも観音様の役割に近いことをしてくれるのがマリア様です。イエス様の母親です。カトリックでは現生ご利益を神に祈ってはいけません。
ただ一つ良いのは、「日ごとの糧」を今日もお与え下さい、という祈りだけです。
日ごとの糧以上のもの、金持ちになることや、偉くなって権力を持つことは神に祈ってはいけないのです。病気が治るようにとか、家内安全、家族の健康も厳密には神に祈ってはいけません。それはマリア様へお願いしてとりなして頂く種類のことなのです。
この点はカトリックとロシア正教や日本正教会でも同じようです。
しかしプロテスタンの諸宗派ではマリア様の特別な役割を認めていません。ですからマリア様の絵画や像があまり飾って有りません。それが飾ってあったらカトリックやロシア正教やコプト教のようなキリスト教の旧教一派と考えてあまり大きな間違いが有りません。
プロテスタントでは家族の健康や家内安全は直接イエス様へお願いし、お祈りします。しかし立身出世や金持ちになることや権力者になることを神に祈ってはいけないのです。その祈りは俗っぽすぎるようです。
最後に、Francescoさんの、フランンス・カトリックの長女:http://blogs.yahoo.co.jp/mouffetard_2005 から、転載許可を頂きましたのでマリア様の絵画をお送りいたします。
さしてクリスマスも近いので、美しい歌声もお送り致します。
カトリック信仰の源泉http://blogs.yahoo.co.jp/sacerdosaeternus/37808942.html をクリックすると美しい歌声が聞こえます。
尚、此処にご紹介しました2つのブログは、Yahoo JapanのIDとパスワードが有れば全てのページがご覧になれます。ご自分のIDとパシワードをご用意下さい。女性の素晴らしさは次の記事、「神津島の女神、おたあジュリア」へと続きます。(続く)