後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

自然の営みの神秘(3)ナメコ、クリタケ、マイタケ、シイタケの不思議さ

2009年11月18日 | 日記・エッセイ・コラム

キノコの栽培を少しでもしてみると、キノコの不思議さに魅了されてしまいます。

私の山小屋の近所の鬼家(オニイエ)さんは色々なキノコを栽培しています。キノコを自然の雑木林の中で育てています。クリタケやナメコやマイタケは原木を土に半分埋めて落ち葉を掛けておきます。ですから自然林の雑木林の中にキノコが成長しているように見えます。

雑木のたたずまいとキノコの様子が調和して不思議な、静かな空間を作っています。何度も見に行きました。何故か心の休まる光景です。

時々は採らせて貰います。自分で採ってみるとキノコのヌルヌルした手触りが心地良く感じるのです。完全に自然林のなかで自分が発見したことを想像すると心が躍ります。鬼家さんによるとキノコの栽培は不思議な現象だそうです。雨の多い年、暑い年、などと気候の微妙な変化で多く出る時もあるし、少しの時もあるそうです。自然の営みの不思議さを感じるそうです。

下にそんな雑木林の下に育ったナメコ、マイタケ、そしてクリタケの写真を順に示します。

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一方、シイタケだけはキノコ菌を埋め込んだクヌギの原木を日陰に立てて栽培します。下の写真は昨年、鬼家さんから頂いて来た6本のクヌギの原木を庭の日陰に立ててある様子です。右の写真は今年の4月に出てきた大きなシイタケの写真です。直径が25cmもありました。秋には沢山出てくると楽しみにしていましたが1個も出て来ません。不思議です。鬼家さんに聞きましたがやはり不作だったそうです。

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上の2枚の写真は自分が撮ったものですが、始めの3枚は鬼家さんのHPの中の雑記帳から転載しました。その雑記帳にはキノコ栽培の方法が詳しく書いてありますのでご参照下さい。(http://ihcuik69.web.fc2.com/

キノコ栽培のご経験をお持ちの方々からのご意見やご感想を頂ければ嬉しく思います。(続く)


山本量太郎著「最後の引っ越し」連載、その二(完結編)

2009年11月18日 | 日記・エッセイ・コラム

@終の住みかへ

「終(つい)の住みか」という言葉があり、最後に安住する所、これから死ぬまで住むべき所という意味でふつう使われる。同じ構内にある桜町聖ヨハネホームのような老人ホームもよく終の住みかとよく言われる。しかし、真の意味での終の住みかは、最後の引っ越しをしてから住むことになる天の永遠の住みかだけである。

@持っていけるもの

身一つならそれほど大変ではないかもしれない。引っ越しを重ねるごとにそう思い、持ち物を増やさにように心がけるようになった。

しかし、人生にとって最重要事は、最後の引っ越しの時に持っていけないと分かっているものに執着することなく、持っていけると約束されているものを大切に生きることではないだろうか。

 「自分のために集めたものは何一つ神さまのもとへ持っていくことはできない。逆に、人のために差し出したものを持っていくことができる」。子供のころ、教会の葬儀尾の説教で聞いた言葉が50年近くたった今も心に残っている。(終り)

008 編者による後書き:    左の写真は昨年のものですが山本量太郎神父様のお姿です。2人の信者へ聖なるパンをお与えになっているところです。

10年前に山本神父さまが小金井教会へ引っ越しでいらっしゃった時のことを鮮明に覚えています。中古の車に積めるだけの荷物でフラリと着任されて来たのです。

引っ越しを手伝いしようとしていた教会委員の人々がその簡単さに吃驚していました。それ以来、私も最後の旅立ちの後によけいな物を残さないようにつまらぬ本や衣類や道具類を整理処分をして来ました。身軽になって爽快な気分です。

この記事の第一回の掲載文を延べ315名の方々がお読み頂き、数編のコメントを頂きましたことに感謝して終りと致します。有難う御座いました。藤山杜人


夫婦旅行の薦め、そして地方の歴史・文化を楽しむ

2009年11月18日 | 旅行記

高齢化社会になり、引退し、悠々自適の境地の人々が増大しています。暇にあかせて色々なことを考えて見ると、現役の頃の考え方は 自分の職業だけから見た考え方だけという 極く狭い視野であったと吃驚します。

夫婦で旅をすると夫婦円満になります。その上、男女双方の立場からの文化にたいする考え方の違いを ゆっくり話合うことが出来ます。日本全国を一緒に旅をすると色々な地域文化や歴史の特徴が分かり興味が尽きません。

例えば新潟の内陸部の魚沼地方ではご飯が美味でオカズが要りません。味噌汁も美味です。ご飯とみそ汁だけの生活と思い、土地の若い人に聞きました。彼女は我が意を得たりとばかり、嬉しそうに言います、「そうです。それがこの地方の自慢なのです。オカズは要りません」と。これが新潟、魚沼地方のお米文化です。家内がそれにしても彼女は健康そうで新潟美人なのは、きっと野菜は食べていると言います。農家は自家用の野菜は作っているに違いありません。そうでなければこの地方の人は皆脚気で死んでいるはずです。白米だけを食べていると脚気になります。

同じ新潟でも海岸地方に行くとガラリと食生活が変わります。暗い冬の日本海から豊富な魚介類を取って来て食べています。特に冬の荒れる日本海の魚は美味で有名です。昨日は寺泊地方の魚屋街へ行きました。暗い海と、そこから獲れたズワイ蟹の写真を下に示します。都会の人は、ズワイ蟹は一匹一万円、二万円すると信じて居ます。

生産地では1000円、2000円で売っています。味が違うのではなく脚やハサミが折れた所謂キズものです。味には変わりありません。セイコ蟹というメスのズワイ蟹は300円位です。蟹だけではありません。タラ、ノドグロ、サバ、ブリ、等が驚く程安価です。この地方は魚沼産コシヒカリではなく きっと名も無いお米を、美味しい魚介類と共に食べているのでしょう。

通りすぎた寺泊の暗く広い漁港には 漁船ばかりで、ヨットやモーターボートの影が有りません。太平洋岸の漁港には必ずヨットが1、2隻いるのものです。荒れる日本海はヨットに向いていないのでしょう。日本海地方の純日本的な文化がヨットやモーターボートを排除しているのかも知れません。

何が純日本的な地方文化でしょうか?それは続編へ譲ります。(続く)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。 藤山杜人

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