毎年、ススキの穂が風に揺れる頃になるとハローウインがやって来て死者の月になります。日本の伝統、習慣としての七五三のお祝いもあり、可愛く着飾った子供の姿を楽しむことができます。
これらの関連を少しだけお話します。今日のミサの説教でカトリック小金井教会の山本量太郎神父様から聞いた話です。
ハローウイン(聖なる夜)は元々イギリスの先住民のケルト族の大晦日の祭りだったそうです。 新年が11月1日に始まる暦を使っていた民族です。大晦日には悪魔がやってきて人間と直接話し合いが出来る日です。人間は悪魔が悪いことをしないように説得しお供えをします。(お供えの御馳走を食べ、お酒を飲んで悪魔と話しがついたことを祝います。)それが10月31日で、イギリスのキリスト教会は自然にそれを取り入れ、翌日の11月1日を諸聖人の祝日にしました。キリスト教が入る以前の昔の伝統、習慣が自然に入ってきたのです。諸聖人の祝日の次の日は全ての死者の記念日としました。そして11月中にはヨーロッパの墓地が花やローソクで賑やかになる季節です。残された家族が先祖の墓掃除をし、花やローソクを供えるのです。11世紀ころからの事だそうです。
昔、シュツットガルトにいた時、墓地のそばに住んでいました。4階の窓から墓地を見降ろすと、11月には家族連れが毎日のように来て墓掃除をし、花やローソクを供えていました。死者を大切にする風景に心温まる思いがしたものです。
ローマ法王は11世紀に諸聖人の祝日や死者の記念日を追認したのです。
カトリックは昔から地元の伝統文化を尊重し、それを絶やさないようにして来ました。南米のカトリックはその例で、古来からのインデオの文化や風習を取り入れています。
日本のカトリックも伝統文化を尊重しています。11月15日は七五三の子供の祝福式を教会で執り行います。年末には大晦日のミサがあり元旦にはお正月を祝うミサがあります。
特に神父さまへお願いすれば車が事故に合わないように祝別の儀式をしてくれます。
色々な民族の文化を尊敬し大切にする態度こそ宗教人に必要なことです。
それを軽視する人が居たら、その人は宗教を信じて居ないのです。宗教はおおらかで寛大なものです。皆様はどのようにお考えでしょうか?(終わり)
今日は日曜日です。この記事を投稿してから、家内と一緒に教会のミサへ行きます。
日曜日なのでキリスト教のことを少しだけ書きます。
皆様はテレビで歌手やお笑いのタレントをご覧になると思います。彼らの才能は全て神が与えているというのがキリスト教の教えです。私もそう信じています。彼らが努力してテレビ出演をしている様子を見ていると、尊敬してしまいます。
タレントはテレビに限りません。画家、音楽家、全ての分野にいます。卓越した才能(タラント)は神が与えたものです。彼らは時々、神の存在を感じる筈です。そしてその事を知っているイエス様がいろいろな形で呼びかけるのです。
このブログの10月28日の記事でご紹介した画家の三輪修さんから頂いたメールを下に示します。
1988年の或る主日礼拝後、牧師さんに『この教会の週報の扉絵を描いて』と言われました。未信徒であった私はどんなものを描いたらよいか尋ねたところ、『教会のスケッチはどうか?』と言われ、翌日、スケッチブックに描いて持って行きました。
次の週には私の作品がその教会の週報の扉絵を飾りました。そのうち、今度は、『福音書を読んで感じたまま描いては?』と言われました。この小さな奉仕はその後、7年間続き作品は、350点近くなっていました。
聖書の事に無知だった私がこのことでイエス様のみ言葉に出会い、自分の心が少しずつ変わっていくのを感じました。そして、クリスチャンとして生きていく事を決意します。
このように絵画を通して導かれ感謝しています。以下省略。
三輪修さんはイエス様に絵を描いて下さいと言われたのだと私は信じています。そして彼はクリスチャンになったのです。聖公会の洗礼を受け、フランシスという霊名を持っています。三輪修さんの絵画は卓越しています。
三輪さんへ扉絵を依頼した牧師さんの紹介と絵は、
http://ameblo.jp/miwa-art/entry-10176836164.html に御座います。
皆様は真面目な一流の画家とテレビのお笑いタレントを同列にあつかって書くことを不思議に思うかも知れません。しかしフランシス三輪修さんは不思議に思わない筈です。失礼であるとか、そうでないとかということは考える必要が無いのです。すべてはイエス様が考えることです。(終わり)
今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。 シルベスター藤山杜人
ショッキングなタイトルを見て来ちゃいましたぞ。
「自然のまんま=何も手を入れない」というのが、自然保護と
思われてますが、自然の定義が不確かでもありますな。
私が大分前に森林インストラクターとして、鎌倉のとある場所で、
活動していた時に、下草刈りとかしていると、近所の人に
通報された事がありました。勿論、その活動は鎌倉市からの依頼、
つまり許可を取っていた訳ですが、住民の目からは、山に入って、
草とかツルを切っている=自然破壊(?)と映った様です。
元々、里山は充分に人の手が入っていて整備されていた訳ですが、
何も手を入れないと、荒れてくる訳です。ツルは木々を締め付けて
殺し、鬱蒼とした森は光が入らず、荒廃する訳です。
全く手を入れないで自然のままにするのが良いか、適度に手を入れて、
保全するのが良いか、難しい判断ですな。
投稿 大福写真館 | ======終わり=====
大福写真館さんのご意見に私は賛成です。下の荒れた雑木林の写真をご覧下さい。小生の山林の中の小屋の近所の美しい里山が毎年荒れる一方なのです。そんな光景を見て心が痛んでいます。村人は昔は薪にするために雑木林に手を入れて管理していたのです。燃料がプロパンになり、山に薪を取りに入らなくなって20年以上になります。イノシシや鹿や猿が異常に繁殖して農産物の被害が莫大になっています。適切な、そして最善の自然保護とは一体どうすれば良いのでしょうか? 何方かお教え下さいませんか?