はじめに:山本量太郎氏はカトリック小金井教会の主任司祭です。理路整然とイエス様について話す説教は圧倒的です。話す言葉をそのまま印刷し、本にしたくなるような珠玉の説教です。いつも感心しています。10年前に小金井教会の主任司祭として着任されました。これから2回連載でご紹介する話はカトリック小金井教会ニュース「さくらまち」146号(2009年11月15日)に掲載された記事の転載です。
ご高齢の方は「終(つい)のすみか」にご関心があると思います。その事に関する心休まる名随筆です。宗教にご関心の有無に関係なく、是非お読み頂きたいと思っています。
小金井教会に隣接する桜町病院とヨハネ会修道院は2年半前に建て替えました。そのために、「引っ越し」の苦労をしました。そして「終のすみか」の事を考えたというお話です。(以上、藤山記)
====山本量太郎著 「最後の引っ越し」連載、その一=====
@工事のさなかに
桜町病院とヨハネ会修道院の建て替えが終わっていつの間にか2年半たった。工事は確かに大変だった。でも、それは建設会社の人たちがみなやってくれた。そこで働いたり、生活したりしている私たちにとってむしろ大変だったのは、その工事に合わせて引っ越しすることだったかもしれない。なにしろ、古い建物をこわす前に立ちのき、新しい建物が出来たら戻ってくる、という具合に、多くの人は2回引っ越しをせざるをえなかったからだ。
@来し方を振り返る
そんな引っ越しの光景が目にはいったあるとき、私は思った。自分はこれまで引っ越しを何回したかな。そして数えた。調布で生まれて立川で育ち、世田谷区にあるカトリックの学生寮に入り、神学生になって前半は千代田区の哲学院、後半は練馬区の神学院に住んだ。司祭になって西千葉教会、柏教会、喜多見教会、と歴任した。その後は中央協議会の事務所勤め、その間、住まいの方は真生会館、永代働く人の家、日本カトリック会館と変わった。指折り数えたら、10本の指では足りなかったので驚いた。
@行く末を思うと
そして、いつしか思いは先のことへと移っていった。自分はこれから何回引っ越しをするのだろうか。そう考えているとき、突然、あることで頭がいっぱいになった。それは、自分がいつかすることになる「最後の引っ越し」の事だった。私はその時、地上の道程の最後にくること、すなわち「死」を初めて「引っ越し」という言葉で考えたのである。
@人生そのもの
そもそもパウロも、「神によって備えられるている建物、天にある永遠の住みかがある」と言っているではないか(2コリント5・1参照)。キリストも、「私の父の家に住む所はたくさんある」と断言しているではないか(ヨハネ14・2参照)。死は天にある永遠の住みかへの引越し、住むところがたくさんある天の父の家への引越しなのだ。
だから、引越しは人生につきものどころではなく、人生そのものである、そう言い切ってもいいとさえ思うようになった。生まれた家で生涯過ごし、看取られるような人生を送る人も、最後の引越しだけは必ずするのだから。(次回で完結)