後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

夫婦旅行、万葉集に歌われている弥彦神社、その菊祭り風景

2009年11月19日 | 写真

新潟平野に独立峰として聳え立っている弥彦山は昔から神の山として信仰されて来ました。山そのものがご神体で、その麓に弥彦神社があります。万葉集にも歌われた神社なので、それ以前から存在していました。境内で今年も菊祭りがあり、様々な形に育て上げた見事な菊が展示されて居ました。あいにくの雨天でしたが、写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。(終り)

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下に菊の色々な形の展示を示します。

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キリスト教が犯した大罪ーその謝罪を祈るローマ法王のヨハネ・パウロ2世

2009年11月19日 | 日記・エッセイ・コラム

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周りの人々へ時々、「私はキリスト教の信者です」と言います。すると親しい人は、「私は宗教は嫌いです!宗教は戦争の原因になるから嫌いです!」とニベも無く言い放つ人がいます。「そうですか。そうですね。」と答えて話題を変えます。

最近、読売新聞の「時代の証言者」という連載記事でヨゼフ・ピタウさんの話が二十数回続いています。カトリック信者にとって興味深いバチカンの組織内の話やイエズス会のことなど色々書いてあります。

しかし、時々一般の人々の宗教へ対する疑問へも明快な解答を出ています。

11月17日の「時代の証言者」にはピタウさんが2つ重要な解答を出しています。

(1)ヨハネ・パウロ2世はキリスト教の全ての宗派を再び融合・統一する努力をした。例えば聖ピエトロ寺院での祭祀にはイギリス教会(聖公会など)のカンタベリー大主教と東方の正教会のコンスタンティノポリス総主教と一緒に司祭しました。

東方の正教会とはギリシャ正教、そしてロシア正教、日本正教会などを含みます。

2000年前のイエス様のころはこれらの別々の宗派は存在しなかったのです。その状態へ戻し、正しいあり方に復帰しようとする運動をエキュメニズム(教会一致促進運動)と言います。ヨハネ・パウロ2世は、別々の宗派の存在がキリスト教としてあるべき状態でないという強い信念を持っていたのです。

(2)キリスト教が犯した大罪を認め謝罪し、神に許しの祈りを何度もした。

十字軍のイエスラレム奪還の為の遠征と殺戮、それも正教徒も殺戮した大罪。ガレリオ・ガレリイなどの科学者の裁判、魔女狩りと種々の異端裁判、宗教戦争などなど日本人の常識から見て明らかな大罪をローマ法王として始めて公式に認めたのです。その上、その大罪の許しを神へ祈ったのです。特に2000年(キリスト生誕2000年の大聖年)の3月の許しを求める祈りは壮絶だったそうです。体力が衰え倒れそうな体で長時間、ひざまずいて祈ったそうです。(2005年に亡くなりました)。

日本人の常識ではキリスト教が戦争の原因になっているとしか見えません。

しかし洗礼を受けて信者になってみると違う理解になります;「人間はどんな理由でも戦争をする。他民族を殺戮する本能を持っているからそうするだけです」、そして「キリスト教が原因ではないのです。ただ戦争の口実にキリスト教の名を利用するだけです」とご理解できます。ですからヨハネ・パウロ2世の神に許しを求めた内容は2つに分けられと自分は考えています。十戒の一つの殺人を大量にした罪。その殺人の正当性を主張するために、それを禁じていたイエス・キリストの名前を勝手に使った大罪。この二つを一緒にして神の許しを祈ったのだと、私個人は理解しています。

ローマ法王のヨハネ・パウロ2世の日本人へのかかわりかた等については次回に書きます。此処までお読み下さった方々へ感謝いたします。(続く)

上の2枚の写真の左は1920年にポーランドで生まれ、12歳の時の写真で右はローマ法王当時の写真です。(2005年4月2日、84歳で旅立ちました)


夫が家事を手伝うと定年後が人生で一番楽しい季節になります

2009年11月19日 | うんちく・小ネタ

仕事をしている間、家事は妻まかせが多いものです。奥さんが働いていても妻任せな人も多いのです。不公平です。でも夫婦愛があれば破局へは行きません。

しかし、定年後は全く違うということに気がつかないと 大変なことになります。

私は仕事を止めた3年前から進んで家事の一部をすることにしました。家事のある種のものは大変面白いのです。自分の意外な才を発見してニヤニヤ微笑みながら仕事を楽しんでいます。妻の不得意なことをしているという ささやかな優越感も味わえます。

妻は私が楽しんで家事の一部をしていることを知らないのでとても感謝します。その結果として、「定年後が人生で一番楽しい季節」なります。

この状態を作る鉄則は、「自分が得意とする家事だけをする」ことです。家事を手伝うと妻は嬉しくなるらしく、不得意なものは すすんで肩代りしてくれます。

具体的に家事を分類すると、炊事、洗濯、掃除、孫の世話、の4種です。この中で私の楽しみながら出来ることを例示します。

(1)炊事で得意な部分:

大フライパンを使った炒めもの全般。天麩羅やフライを油で揚げる部分。大きな魚を出刃包丁でおろす仕事。肉類を圧力鍋や魔法瓶鍋で柔らかく煮上げる部分。山小屋で焚火でするバーベキュー。魚の燻製を作る。自宅での焼き魚を根気よく焦がさないで焼くこと。妻が洗った鍋類、食器などをフキンで丁寧に拭き取る部分。

これだけをすると妻が感謝して私の不得意なことを全てしてくれます。野菜をきざむ。魚肉を切り身にする。料理のの味付けをする。ご飯を炊く。甘酢あんを作り、小生の揚げた魚にかけてくれる。要するに細々した嫌な仕事を一切してくれるのです。

(2)洗濯で得意な部分:

衣類を洗濯機に入れ、洗剤を加え、水を回転させる部分。出来上がった洗濯ものをきちんと干す部分。乾いた洗濯ものの自分のものだけをキチンとたたみ、自分用のタンスへ分類して仕舞うこと。洗濯物を畳むときは、ヨットのセールを畳むときと同じ要領で、セイリングのことを考えながら畳むのです。

(3)掃除で得意な部分:

不要な物を捨てること(妻にはこれが出来ない)。部屋の中の整理整頓を短時間でする事。座敷箒を上手に使いゴミを掃き出すこと。庭木にハシゴを掛けて枝を大胆に切り落とすこと。庭の畑を掘り起こすこと。

(4)孫の世話で得意な部分:

子供野球をしているので、他校チームとの試合のとき彼方此方へ 「8人乗りのワゴン車」で送迎すること(子供なので10人乗れる)。孫たちを山小屋へ連れて行って自然の生活を体験させること。同じくヨットへ連れていって船の危険さと楽しさを教えること。湖での釣りの体験をさせること。そうすると日常のこまごました孫の世話は妻が率先して(実は楽しんで)してくれます。

以上のように書くと家事の大部分を私がしているようです。しかし公平な書き方をすれば、上に書いた家事を毎日しているのではありません。時々だけで良いのです。そうすると妻は大変感謝してくれます。現役の間、家事を妻任せだっただけに少しでもその効果が絶大なのです。今、流行りの言葉で言えば、「コストパーフォーマンスが最高なのです!」。その結果、遊びの方も一層楽しくなります。

家事を一切しないと、嘯(うそぶ)いている高齢の男性に時々会います。私はひどい憐憫の情で彼の顔を見ます。そして、静かに、余計な忠告をします。フライパンの柄を握って火にかけて焼きそばを炒めなさい。味付けは奥さんが率先してしてくれますよ!

そうです。たった一つで良いのです。千里の道も一歩からというでんはありませんか?

さて皆様は家事を夫婦でどの様に分担していらっしゃるでしょうか?

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。 藤山杜人