この上下は霞ヶ浦にある民間会社が経営しているヨットの係留桟橋です。1990年頃にはヨットのマストが林のようにびっしり並んでいました。現在は数えるほどのヨットが淋しく係留されているだけです。
1990年頃に起きたバブル経済の崩壊は日本の文化を変えました。外向きだった人々の心が内向きになり、何事も無駄や贅沢は善くないという伝統的な日本の心が次第に広がって行ったようです。
勿論このような日本人の心の変化には良いことも沢山あります。戦前生まれの私にとっては何故かホットする方向の変化です。
しかしヨットを趣味として、1990年頃から、足しげく霞ヶ浦へ通っていた私はとても寂しい思いをして来ました。マリーナにある係留用の桟橋に繋がっているヨットが見る度に減って行くのです。櫛の歯が欠けるように脆くもヨットが激減して行くのです。
桟橋が空いている風景は三浦半島や伊豆半島のマリーナでも同様です。
国際的に一番有名なヨット・レースのアメリカズ・カップへの参加も、日本は撤退してしまいました。
日本全体のキャビンを持った大型ヨットの数は10000隻くらいと言われています。それも1990年頃をピークにして次第に減少しています。
上の写真にあるマリーナの経営も困難なようです。経営母体の「つくば水郷汽船」から「京成グループ」に変わり、そして現在は「ラスクマリーナ」へ変わっています。
ヨットに乗って湖の沖に出る。海へ出る。このようなリスクの大きい趣味は1990年をピークに寂れ行く一方です。当時は華やかに開催されていた晴海埠頭広場の国際ボート・ショウも規模がひどく小さくなって横濱で開催されています。
そもそも、ヨットの趣味は日本人にな根付くことの困難な欧米の不思議な思想を背景にもった趣味です。その思想は世界の海洋を征する為にはヨットの訓練が不可欠だという思想です。正しいか間違っているかは分かりません。しかし日本人はこの思想を無視していきなり蒸気船を輸入し、巨大なジーゼルエンジンのついた大型船を導入し海運を盛んにし、軍艦もつくり海軍国にしてしまったのです。
一方、アメリカの海軍士官学校では現在でもヨットの操船が重視されているそうです。原子力空母や原子力潜水艦に乗り組んでいる海軍士官はすべてヨットの訓練を修了しているのです。
ヨットを体験すると船と波と風の力関係が体で理解出来、覚えられるという考え方です。
日本の商船の乗り組み員の訓練には帆船・日本丸と海王丸が使用されています。しかし海上自衛隊には帆船はありません。
日本人の心が内向きになる傾向は3月11日に起きた大震災・大津波と原発事故で一層拍車がかかりました。
今日は内向きになった一つの例として、ヨットの数の減少を説明しましたが、いずれ内向きの意味をもう少し厳密に、分かり易く書いて見たいと思っています。そうすればその変化のもたらす善い効果も判然としてくる筈です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)
一億総中流とはしゃいでいた時期は過ぎて、長い不況の時代で、人の心は冷えてしまいました。趣味、芸術、政治にまでその傾向が強くなりました。特に、日本人は周囲のことに影響されやすいのでしょうか。
周囲が元気だと自分が元気に、バブル期の元気はその代表に思えます。
しかし、大衆の心のように揺れ動いてはならない政治までが、浮き足立っています。長期政権で垂れ流しや失敗をしてきた自民党が野党に落ちるや、過去を忘れて現政権の揚げ足取りだけに始終しています。
政策の失敗は取り返しのつかないことを残します。経済優先か財政優先かと大きく分かれる問題にしても、温故知新の心を基礎に、無心で党派を超えた対策が必要です。
ヨットの減少と同様なことが日本中で起きています。主な原因は経済的にゆとりどころか、生きてゆくのが精一杯の状態の人が増えています。
解決の道は唯一つ、経済の活性化しかないのです。それは財政の健全化に繋がるのだと思います。無駄を削り健全化を狙う政治家さんは、足元の政治家数、経費の削減と率先して行うべきです。
名古屋の続投愛知県知事、今度の大阪首長は自ら、報酬カットから始めています。それを県民、府民、市民が支持したのです。
異常な為替変動をも耐えに耐えている日本ですが、限界は目前です。
その対策が見えてこない政治に国民は不安を抱いているのだと思います。投稿 yuyu | 2011/12/04 09:57