昨日、あなたの生きがいは何ですか?・・・明快に答えられますか? という記事を掲載しました。今日の記事はそれに関する私の本音です。
生きがいを明快に持っていない人は不幸です。立派な人生目的もなくブラブラ生きている人は世の中のお荷物です。何故、最近の小学校や中学校、高校では立派な人生目標を教えないのでしょうか?日本の教育が根本的に間違っていると思います。最近の若者は生きがいを持っていないのです。尊敬する気持ちになりません。
まあ、このへんが私の本音です。多くの老人はそのように思っていると想像しています。
しかし私の生きがいは何だったのでしょうか?どのようにしてそれが決まったのでしょうか?その頃の時代や国際関係はどのようなものだったのでしょうか?私の生きがいや人生目的は日本の国家の方針の影響を受けていなかったのいでしょうか?あるいは宗教や共産主義の影響を受けていなかったのでしょうか?
結論を言えば私の人生目的は国策に沿った公立学校で教わりました。特攻隊帰りの先生に吹き込まれたアメリカに追いつけという教えでした。「身を立て、名を挙げ、やよ励めよ」という明治維新以来の教育方針でした。自分の頭で考えたことでは無かったのです。
しかし国家が個人の人生観や「生きがい」に干渉する時代は終わったのです。少なくとも1990年前後の冷戦の終了と共に崩壊したのです。
その後の時代は幸せな時代です。人類の多くにとってより幸福な時代です。
「生きがい」の見つからない時代ほど幸せな時代はありません。生きがいの見つからない国ほど幸せな国はありません。経済的に破綻したルーマニアや東ヨーロッパの国々、そしてアイスランドやギリシャやイタリーの人々は「生きがい」を簡単に見つけられるでしょうか?不幸ですか?幸福ですか?そのような国々では若者は自分の頭で人生を切り開いて行きます。生きがいを自分で見つけます。それこそ本当に幸多い人生ではないでしょうか?
「生きがい」や立派な人生目的が簡単に手に入った戦前の日本、そして追いつけ、追い越せの戦後の日本。はたしてそのような時代は幸せな時代と言えるでしょうか?
私の本音は変わりません。しかし間違いなく私は時代遅れの人間になったのです。
そういうのを老人になったと言うのです。それもごく小いさな自然現象の一つなのです。皆様は時代遅れの人でしょうか?ご意見を頂ければ嬉しく思います。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)