人間は生きているかぎり楽しみや悲しみを感じます。考え通りにことが運ばず失意に落ち込みます。不幸感に襲われます。ふさぎ込みます。
原因は千差万別いくつもあります。
天災や大事故。家や財産の流失。家族や親しい人の死。このような大きな悲劇もあります。
そして、その他にも、恋愛のつまずき。受験の失敗。職場での人間関係の難しさ。夫婦の不和。子供や孫との会話の途絶。病気や怪我。老衰と身体の不自由。金銭問題。衣食住の心配。
失意や不幸感の原因は渚の波のように次からつぎへと襲ってきます。生きている限り襲ってきます。
私も引退して悠々自適の身ですが、時々訳も無く暗い気分になります。急に不幸感が襲ってきます。
そんな時は不孝の原因は絶対に考えません。頓着しないで忘れるのです。忘れるために樹木を見に行きます。何も感情の動きもないような樹木のたたずまいを眺めるのです。樹木は何でも良いのです。雑木林の広がりでも良いし、この写真のような巨木でも良いのです。
樹木は下らないことを考えないで静かに生きています。何十年も何百年もゆっくり蒼穹へ向かって梢を伸ばして行きます。何も迷っていません。悩みなどありません。そんな姿を見ていると次第に自分の考えが下らないと思えるようになります。
自分のこだわりが失意の原因なのです。忘れる事です。樹木が梢を蒼穹へ伸ばすように自然な人生を生きようという気分になります。心が明るくなります。
私は若い時も、老人になった現在も時々失意に陥ります。生に執着している限り陥ります。
しかし年老いたお陰で、現在は確信しています。失意や不幸感なんて樹木の姿を見ると一瞬にして消えて行く事を。
忙しくて見に行けない現役の人は通勤の電車の中では車窓を流れる樹木の姿を見るのです。そうして先日見た樹木の姿を思い出すのです。
不幸の原因は絶対に考えないで、不幸は、不幸としてあるがままに受け入れます。樹木のように静かに受け入れます。すると自然に忘れてしまうものなのです。
もっとも忘れようとしても絶対に忘れられない大きな悲しみもあります。しかし樹木を見ていると少し癒されます。少しでも心の救いになるのです。心が前向きになります。
下にもう2枚、昨日、野川公園でとった樹木の写真をお送りします。もし失意の方がいたら、ジッと見詰めて全てを忘れて下さい。明るい気分になれます。
今日も皆様のご健康と平和をお祈りします。後藤和弘(藤山杜人)
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