鎌倉はいろいろな意味で確かに魅力ある町です。観光客が絶えません。
しかし私にとって鎌倉は特別な意味があります。家内が生まれ、そこで終戦の年まで育った場所でした。終戦時は国民学校2年生でした。
家内は結婚以来何度も、何度も鎌倉での楽しい思い出を話します。
私共の生活はかなり厳しいものでした。何度も辛い思いをした筈ですが、何時も天真爛漫として明るく暮らしています。そのうち、私は一つの結論に至りました。「幼少時の楽しさが人生の苦しさを解消する」という結論です。
このように書くと自分の子供の頃は悲しい思い出だけですと言う人がいます。私もそう思っていました。しかしそれは大変大きな間違いです。悲しい事を忘れて、楽しい事だけを覚えていれば解決するのです。
それはそれとして、家内が鎌倉での楽しかった聖母園幼稚園や御成国民学校の話をします。住まいは長谷寺に近く、裏には加賀藩主だった前田さんの別荘がありました。加賀様山と呼んで、その山や草原で毎日のように遊んでいたそうです。
自宅から路地を抜けて、江の電の線路を渡ると由比ヶ浜です。夏になると親類の若者や子供達が海水浴に来て、何日も泊っていきます。
父親は横須賀の海軍の学校で栄養学を教えていました。一応佐官待遇だったようですが自由な思想の持ち主で陸上競技や野球が好きでした。
終戦まで大規模な空襲が無かったので鎌倉は戦前の余裕のある楽しい生活が続けられたのです。
家内が鎌倉の思い出を話すので、何度も遊びに行きました。
昔住んでいた家の近所に行ったり、現在は鎌倉文学館になっている加賀様の別荘を訪ねたりします。御成小学校は海蔵寺や寿福寺に行く途中にあるので何度も行きました。戦前の校門と講堂が残っています。
鎌倉に行く度に家内が元気はつらつになるので、何度も行くことになりました。そのうち私自身も第二の故郷のように思うようになります。
そして私の第一の故郷の仙台市も懐かしくなります。楽しい思い出だけが強くなります。末尾に示したように、「私の追憶の中の仙台」という連載記事を4回書きました。そうして私は確信したのです。「幼少時の楽しさが人生の苦しさを解消する」という確信です。
どうぞ皆様、もし人生の苦しさや悲しみに現在、遭遇しているなら、「幼少時の楽しさが人生の苦しさを解消する」と確信して下さい。もし幼少の頃に楽しい思い出が無いと思っていたら、それは大変大きな間違いなのです。幼少時は大人の苦しみや悲しみが理解出来ない時期なのです。普通の家庭に育っていれば苦しみや悲しみが無い筈です。
しかし幼少時に母を失った人の事を考えるとそんなに気楽には書けません。その子は神様が守ってくれと思います。そのように信じ、深い同情を感じています。
ですから今日、上に書いた原理原則は普通の家庭に育った人にしか通用しないかも知れません。残念です。
下に関連の写真を示します。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)
参考記事: