後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

渡辺修治著「どんがめ物語」の内容(2)船を造る船大工の技を知りつくした天才的な船の設計者

2011年12月08日 | 日記・エッセイ・コラム

前篇は、渡辺修治著「どんがめ物語」の内容(1)造船技術者としての幅広い活動 です。

さて、潜水艦の設計担当をしていた渡辺中尉は呉の海軍工廠からシンガポールの海軍工廠へ転勤になります。そしてそこで終戦を迎えました。武装解除と日本軍人の抑留はイギリス軍が行いました。イギリス軍の捕虜になったのですから当然な苦労と屈辱を経験します。しかしそれを上手に受け流し、故郷の下田に復員しました。

すぐに見合い結婚をします。

新婚早々、小型のヨットを設計しました。裏山から材木を切りだして完成します。船名を「ミス・どんがめ」としました。余談ながら渡辺修治氏の息子さんの康夫さんはmissdongameというハンドル名です。そしてそのブログの自己紹介欄にその「「ミス・どんがめ」の写真が出ています。同じ写真はメル母さんの「父とヨット」というブログでも紹介してあります。そのヨットの写真を下に転載させて頂きました。

さて復員し結婚した渡辺修治さんはどうして生計を立てようとしたのでしょうか?はじめは製塩業をしようとしますがうまく行きません。

そこで漁船を設計し、漁師になろうとしたのです。30フィート位の長さの帆走漁船です。5馬力の焼き玉エンジンの付いた漁船です。

この設計の仕方が実に興味深いのです。全国の和船の漁船の形を調べ、船体は和船にして舵とセンターボードとセイルの形はクルーザーヨットの構造にした設計図を完成したのです。

設計には細かな計算を積み重ね、船の重心を可能な限り低くし、浮力の中心と垂直線で重なるようにするのです。そして外洋でセイルだけで風上に登れるように船底を鋭く水中に入るような形にしたのです。マストは前後に2本です。

ここで注目すべき事は、渡辺さんが船大工として船を自分で作っていった事です。

普通、船の設計者は大工仕事はしません。設計者は偉い技師であり、大工は職人なのです。渡辺さんはその差別を無視して船大工の仕事に打ち込みます。船大工の経験をしなければ本当に信頼できる船の設計は出来ないと思っていたに違いありません。

この半分ヨットのような漁船は見事に完成し、「暁丸」と命名されました。そして伊豆の沖で、毎晩イカ釣りに活躍しました。これで生計は立つようになります。

この船は荒天でも外洋を航海できる頑丈な船体と帆走装置が付いていたのです。他の漁船が出漁を止めるような荒天の夜でも渡辺修治船長と漁労長や漁夫を乗せて出漁し、イカを沢山釣って帰ってきたのです。

しかし漁師を4ケ月したところで渡辺さんは相棒の漁労長へ告白します。「私の人生は漁師になることではないと思います。私が生涯したいのは船の設計なのです」。

そうです。彼の天職は船の設計なのです。漁師になって一生を終ることではなかったのです。

そして縁があって横須賀の東造船という会社で設計技師として働き始めるのです。「どんがめ物語」という本の序文に東造船の社長だった小山 捷さんが渡辺さんのことを紹介しています。

東造船ではアメリカへ輸出する大型ヨットから始めて、大型パトロール・ボート、大発艇、まぐろ漁船、鮭鱒漁船、トロール船、などいろいろな船の設計をしたそうです。設計にあたってはそれらの船の活躍する海域へ渡辺さん自身が出て行き、船の動きを実地に研究して常に新しい設計をしたそうです。

渡辺修治さんは造船界のエリートとしてその分野では有名な存在だったのです。後に大型ヨットによる我が国の外洋レースの発展に貢献したので、その事だけがよく取上げられ、渡辺さんはレーサーとして名を残して居ます。しかしそれは渡辺さんの活躍の半分しか見ていないことになります。

この東造船では渡辺さんはアメリカの大型ヨットを作っていますが、アメリカの木造ヨット製造中のアメリカの職人技の素晴らしさに度肝を抜かれるのです。この部分をを読むと日本の和船の安易な作り方が明快に理解できます。私は安易さを非難するつもりはありません。船を作る思想の相違に吃驚しているのです。

その事は続編で説明致します。写真は1967年に渡辺修治さんが設計・製造して、美艇として有名な木造ヨットの「天城」を、息子さんの康夫さんがレストアした艇です。その下の写真が渡辺修治さんが戦後はじめて自作した小型ヨットです。(続く)

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曇天で寒い日なので晴天の日の写真をお楽しみ下さい

2011年12月08日 | 写真

まずは先月撮ってきた瑞墻山(みずがきやま)の写真をお楽しみ下さい。山梨県西部の北杜市の増富温泉から14km奥に入ると突然この山が見えます。

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この山から流れ下る塩川を堰きとめた「みずがき湖」の写真をお楽しみ下さい。

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同じく北杜市の清春白樺美術館の風景です。

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清春白樺美術館の裏の方向にある池と周囲の紅葉です。

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北杜市の尾白川です。後ろの山並みは甲斐駒の前山の尾根です。

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心豊かに暮らす最近の日本人の素晴らしさ・・・彼等の人格の輝き!

2011年12月08日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は12月8日、日本が真珠湾を奇襲してアメリカの太平洋艦隊に大打撃を与えた日です。彼我の国力の大差を考えると無謀過ぎる開戦でした。

戦中、戦後に生きた私から見ると最近の日本人は本当に個性的で、その上心が豊かな事に吃驚します。苦労しないで伸び伸び成長しているので「育ちの良さ」が自然と身についています。特に地方に住んで自分らしい人生を送っている人々が多いことに感動しています。

昨日掲載した記事の、諏訪レイクサイドホテルを絶賛する では長野県の諏訪湖畔に住んで、活き活きとホテルで働いている若者6人の写真を出しました。彼等は私共年代の日本人とは違って穏やかで親切なのです。何か人格の輝きを感じさせるのです。私は戦前、戦後の食うや食わずの生活の苦労をし過ぎたのです。その残りのアクが私の心の底にあります。どうしても他人を信じきれないのです。

それに比べると最近の日本人は初対面の他人とも友人のように話すのです。年老いて、最近は家内と全国へ旅することが多くなりました。旅先で親切な若者に何度も会う経験をしました。

今日は、特に「自分らしい人生」を送っているある素晴らしい男性をご紹介したいと思います。 満天星の海ー2http://mantenbosi.exblog.jp/ というヨットのブログを書いている満天星さんという方です。

ヨットは私の趣味なのでいろいろな他の方々のブログを見ています。偶然、満天星さんのブログを開けて見て、アッと目が覚める思いをしました。

綺麗な写真です。ヨットの構造や改装の仕方を明快に図面付きで説明しています。静岡県の駿河湾の安良里という風光明媚な港に自分のヨットを係留しています。自分のヨットを私の山林の中の小屋のように静かな時間を持つ為に使っています。ガタガタとせわしくレースに出たり、キャビンで宴会をして騒いだりしません。大体は独りで海の巡航を楽しんでいるようです。個性豊かに自分らしい人生を送っている様子が見えてきます。

感心した私はその方へ昨日メールを送りました。すぐに返事が来ました。個人的な情報を削除して以下に転写します。満天星(どうだん)は、春に小さな白い花を沢山咲かせるので満天の星のように見えます。紅葉すると美しくなります。

=====満天星さんからのメール=======

後藤様 お便りありがとうございます。(満天に☆でmantenbosiと読みます。)

わたしのつたないブログに関心を持っていただきありがとうございます。後藤さまのブログ拝見。私も50歳から6年間岐阜県の山奥に移住してひとり山暮らしを楽しんだ自然志向人間です。
わたしのブログの目的は息子たちがいつかわたしのヨットの跡を継ぐ時に(継がないかもしれないが)ヨットの維持管理と操船に困らないように気が付いたことを書き残しているだけで、他のヨットのブログの様に「読んでくれー」という気はありませんし、またブログランキングのようなものにもまったく関心がありません。
ただ、わたしは(小型ヨットの)ディンギーから転向してシングルハンドで自己流でクルーザーを始めてメンテに操船に戸惑ったことが多々ありましたので、同好の人が同じことで悩まないようにという思いもあり、参考にしたいという方がおられればそうしていただいて一向にかまいません。ご質問にお答えします。
> (1)わたしのブログを紹介していただいてもかまいません。
> (2)所有するヨットはヤマハ28湘南バージョン。長さ 28ft、エンジンヤンマー1GM 9馬力、製造会社 ヤマハです。
> (3)係留地 西伊豆安良里。ヨット歴不明。ディンギー20年くらい?クルーザーは7年です。
> (4)家族構成は夫婦二人と猫ですが成人し独立した息子が二人います。係留地が風光明媚なところ故年に数回家内や息子とその家族が遊びに来ます。
> (5)(シングルハンドをお好みですか?何故でしょうか?)ヨットは言ってみれば一人静かに過ごせる私の山小屋です。時には気の合った仲間を呼んで楽しくクルージングしますが通常はシングルハンドが良いです。宴会ヨットは趣味ではありません。喧騒を海に持ち込む人の気が知れません。
ディンギー時代はレースに明け暮れてましたが、趣味の世界で人と競い合うことに疑問を感じてやめました。仲間内の楽しいクルーザーレースなら拒みませんが。
以上 お役にたてましたでしょうか。
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明快な返事です。自分らしい人生を悠々と過ごしている様子が伺わせます。他人を押しのけて偉くなろうとしていません。地方の静かな生活を自分の人生に取り込んで一層心豊かな人生を送ってます。

戦後66年。日本人の心がこんなにも豊かになったのです。感無量です。

世の中には不景気だ、株価が下がっている、円高だと騒いでいる人もいます。そんな事は人生にとって重要なことではありません。静かに自分らしい生活を送りながら東日本大震災の被害者の為に何か少し支援します。大震災で亡くなった方々の冥福を祈ります。

そのような人々が全国に沢山居るのです。

下に、満天星の海ー2http://mantenbosi.exblog.jp/ からの写真を少し掲載させて貰いました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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