後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

1917年、ロシアの共産主義革命と1991年、ソ連崩壊後のキリスト教の復活

2011年12月05日 | 日記・エッセイ・コラム

貴族が貧しい農奴を搾取して贅沢な生活をしている。宗教団体が貴族階級に支援され豪華教会を建設する。費用が莫大なので貴族がまた領民の農奴の搾取を一層過酷にする。これが産業革命に遅れをとった革命前の帝政ロシアの社会でした。革命が起きるのは歴史的必然でした。その革命を支えた思想が共産主義でした。農民を大切にし、宗教を否定し、ロシア正教を壊滅させました。教会の鐘を破壊し、神父を追放し、人々が教会へ行くのを禁じました。これが1917年のロシア革命から1989年のベルリンの壁の崩壊まで72年間続いたのです。共産主義は革命を起こすには有効な思想でしたが、人々を豊かにし、社会の経済発展の為には致命的な欠陥を露呈しました。人々を怠惰にし、生産効率を下げ、政治家の権力闘争だけを熾烈にする本質的な欠陥を持っていたのです。冷戦でアメリカに完全に敗北したのは当然の帰結のように思えます。

昨夜のNHKテレビの10時から「世界遺産への招待状」で最近のロシアの教会活動の復活の様子が丁寧に報道していました。ロシア正教は聖ニコライが1950年代に函館に伝え。日露戦争のとき、日本のロシア正教会は実質的に独立して日本正教会となりました。

一昨日お茶の水のニコライ堂で3時間という長い聖体礼儀に参加したばかりなので非常に親近感を持って見ました。

我々日本人にとって違和感を与える異様なタマネギ頭の塔を許してあげればもっと温かい気持ちで見ることができます。

Auferstehungskirche_bei_nacht1 この写真はWikipedeaで「ロシア正教」を検索すると出てくる写真です。

過酷にも何千万人も粛清したスターリンの、「唯一の良い政策」はロシア正教の教会や修道院の建物は破壊せず、「農民搾取の証拠品」として博物館として保存したことです。

1991年から本格的にキリスト教の復活を認められれ、ロシア人の80%が教会に帰ってきたと報じていました。建物だけで椅子もイコンも無い、ガランとした教会の床に膝突いて拝む人々の群れを見て、本当に良かったと嬉しくなりました。1982年に訪問した中国の瀋陽の荒れ果てた天主堂の中に信者が床に座って祈っていた風景を思いだしました。

とりあえず「まずは目出度い」と思い、ここにロシア人へ神とハリストス様の祝福が有りますようにお祈りを致します。


ロシア正教や日本正教とはどういうキリスト教でしょうか?

2011年12月05日 | 日記・エッセイ・コラム
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日本にあるキリスト教会はアメリカ流のプロテスタン教会、ローマのバチカンの傘下にあるカトリック教会、イギリスの聖公会、そしてロシア正教から生まれた日本正教会などがあります。この正教会は古いキリスト教の姿をとどめているので大変興味深い宗派です。
その内容をご理解頂くためにニコライ堂で知り合った伝教師の田一豊さんと交換したメールをお読み頂き、その後で、「山林、杜の人のブログ」の下記の記事をクリックしてお読み頂くとお分かり頂けると存じます。メールや記事は2年前のものですが、内容を変更すべき個所は御座いません。
=====金田一豊さんへ藤山から送ったメール========
田一豊さん
ハリストス我らのうちにあり
拝復、 メールを頂きまして有難うございます。
さて先日のご厚情へたいして、感謝のあまり幾つもの記事を私のブログへ
掲載しました。雑多な記事に埋もれているので、ご覧出来なかったと思います。
そこで、金田さんの事が書いてある記事を以下にご紹介にします。
お時間のあるときに是非ブログの記事の月日にしたがって記事を探して
ご覧下さい。1月には金田さんが説教する日に又参上したく思っています。
ご担当日が決まりましたならお知らせ下さい。
クリスマスにあたって金田様へイエス様、聖ニコライ様の御祝福が有りますように
御祈りいたします。シルベスター後藤和弘
「山林、杜の人のブログ」の下記の記事をクリックすると記事が瞬間的に出て来ます。
(3)投稿日 2009/11/29 今日は夫婦解散、別々の教会へ行きました (金田さんの写真が出ています!)
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=========金田一豊さんからのご返事===========
ハリストス我らのうちにあり
ご丁寧にありがとうございました。
順にいろいろ拝見させていただきました。とても興味深いつくりになっていて感心していました。
今後の活躍と発展に期待していますので、どうぞがんばって下さい! お祈りしています。
ちょっときになったので補足を入れますね。
ニコライ堂の中での奉神礼においての記事で聖職者、聖歌隊、参祷者には差別がある的な表現がされていました。
もちろん差別に感じてしまう方もいるでしょうけど、これはあくまでも区別なので決して差別ではないのです。そこのところを理解していただけるとありがたいです。
なぜ区別があるかというと、その役割や立場、立ち位置なども含めて全てが教えになっているのです。正教会が伝統的に培ってきたものには全て意味があるのです。
もうひとつは、今説明したことに関連しているんですが、ニコライ堂のような大教会と地方も含めた町の教会とは同じではないということです。
例えて言うなら、ローマカトリック教会の町や地域の30人ほどが集まる教会と四谷にある1000人規模で集まる大きなイグナチオ教会とでは様々な諸事情によって全く同じ雰囲気や環境を作ることは出来ない、というのと同じことです。
正教会も地域や国によって参祷者全員で歌う教会もあります。みんなで協力しあう町の教会と役割分担をしなければならない大教会という差があるというのが実際のところです。
以上、余計なおせっかいでした!
それから、僕の予定が決まりました。
説教は、1月3日の主日。お話は、1月10日の聖体礼儀後の軽昼食会(ニコライ会館)。それから、私事ですが、伝道会という正教会の勉強会があります。
一応、毎週木曜日の18時30分~20時30分と、土曜日の15時~17時の枠を担当しています。
興味とお時間があればどうぞいらしてください。金田一豊
=======================(終り)

今日はこういう淋しい山林の奥にある小屋へ行く旅に出ました

2011年12月05日 | 日記・エッセイ・コラム

山林へ分け入るこの道が最後の舗装道路です。この奥は細い山道が淋しい雑木林の中をクネクネと続いています。いつもこの舗装道路の最後に来ると何故か悲しさで気持ちが引き締まります。車の中に家族が幾人も乗っていてもこの感じは変わりません。どういうものか昔から回りが賑やかな時にも数秒間の寂寥感が襲ってきます。不思議です。

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細い道にある大石を避けながらゆっくり車を運転して行くと、美しい雑木林のシルエットが左右に見えます。車を止めて、白い息を吐きながら冬の林の写真を撮ります。

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日差しはあくまでも明るく輝いています。見た目には暖かそうな山林です。木枯しも吹いて居ません。静かです。小川の音しか聞こえるものが有りません。

しかし小屋の中に入ると、そこは夜の厳寒が凍りついてままです。外よりも寒いのです。あわてて薪ストーブを焚きつけます。

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薪がゴーゴーと音をたて燃え上がります。10分もすると小さなコンクリの部屋が暖かくなります。防寒着を脱ぎ、ホットして窓の外を眺める余裕が出て来ます。コーヒーでも淹れようと考えながらのろのろ動き始めます。

しかし窓の外の眺めが淋しい眺めです。冬の弱弱しい日射しが枯れ果てた雑木林に降り注いでいます。

薪ストーブを燃やして、その傍でウトウトして休みます。諏訪湖の畔のホテルまでの運転のためにエネルギーを貯めておこうとしているのです。次第に体力の無くなる体です。

老境の悲しさです。しかし若い時と違って、何か深い満足感が裏にある悲しさです。世の中の人々はこのような心境を悠々自適と言います。そうかも知れません。

貴方の老境には淋しさと満足感が行ったり来たりしていませんでしょうか?

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今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。藤山杜人