後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

鎌倉、由比ヶ浜の風景をお楽しみ下さい・・・久しぶりに海が見たくなり撮って来ました

2011年12月13日 | 写真

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・久しく海を見ていません。無性に海が恋しくなり長駆、片道2時間半のドライブをして鎌倉へ行きました。由比ヶ浜の風景です。

家に夕方帰ったら家内が3日連続の大掃除をしていました。今年はこれから私も大掃除に参加する予定です。

先月、庭の枝下ろしをし、切り落とした枝を山小屋へ運び、ストーブで燃やしたのが私のした大掃除です。これからは遊び歩かないで大掃除をします。

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大震災で深まる宗教への関心・・・祈る人々の群れ

2011年12月13日 | 日記・エッセイ・コラム

12月になるとその年に起きたいろいろな事を思い出します。

今年は特に、3月11日の大震災と福島原発の爆発がショックでした。直接、被害の無かった人々にとっても衝撃でした。あれ以来人々は人間の無常を考え続けています。

津波に襲われた主な町とその犠牲者の数を書きます。その他の町々は省略してありますので合計は2万人余よりは少ない数になります。

岩手県の久慈市(4人)、宮古市(537人)、山田町(776人)、大槌町(1322人)、釜石市(1061人)、大船渡市(433人)、高田市(1854人)。

宮城県の気仙沼市(1391人)、石巻市(3850人)、女川町(949)、東松島市(1113人)、七ヶ浜町(75人)、多賀城市(189人)、仙台市(730人)、名取市(969人)、岩沼市(183人)。

そして福島県の相馬市(459人)、浪江町(184人)、いわき市(348人)。

そして省略しましたが、茨城県や千葉県の海岸近くの市町村も大津波で一瞬にして消滅してしまったのです。

皆様、上のカッコの中のいろいろな町の犠牲者の数を丁寧にご覧下さい。みんな、みんな家族を残して津波の犠牲になってしまったのです。粛然たる気持ちになります。

白く輝いていた街々が跡形も無くなったのです。合計で2万人余の人々が犠牲になりました。

これは日本民族にとって巨大な衝撃でした。東北地方だけでなく本州、四国、九州それに北海道、沖縄の全ては海に囲まれています。大津波が来る可能性が身近に感じられるのです。

私は5月に東京の高尾山に登り、高尾山薬師院(飯綱大権現)へ参りました。その時、神社の関係者に聞いた事です。3月11日から月末までは高尾山薬師院では、お参りに来る人々が長蛇の列を作っていたそうです。その後少し調べてみましたが、各地で有名な神社でも同じように人々が参拝に行っていたようです。亡くなった方とそのご遺族、家を失うなど被害にあった方へ祈りを捧げ、また家族の安全と東日本に住んで居る親類、友人、知人の安全をお祈りしに行ったのです。そして二度と大津波が起きないように祈ったのです。

多くの人々は各地の遍路寺を巡り、犠牲者の冥福を祈ったのです。新聞で読んだ事ですが、子供を失った両親がその遍路巡りを非常に感謝していました。

神社や遍路巡りの寺へ行かない人々も心の中で祈りました。もう9ケ月になりますが毎日、心の中で犠牲者と残された家族の為に祈っている人々も多いと思います。

経済の高度成長を遂げ、全国に新幹線や高速道路が走っている日本です。それだけに人々はこの世の繁栄のはかなさが心に沁みます。無常感が強く心を打ちます。「栄枯盛衰、世のならい」という言葉を噛みしめています。人々が自然に佛教的になりました。

それと同時に無常の世界の向こうに明るい光を見ました。世界中から寄せられる支援と同情の光です。復興の灯です。もう一度立ちあがる勇気が湧いて来ました。

お釈迦様は無常だから復興するなと言っているのではありません。全てを失ってもガッカリするなと教えているのです。そして自分の物慾にだけこだわらずに周りの人々の事を考えながら復興しなさいと教えているのです。

来年は必ず良い年になるのです。自分の物慾だけが溢れている日本ではなくなるのです。祈りの心が流れる社会になるのです。ブータンの王様が来て、自分の国は幸福度世界一と言っていましたが、日本の幸福度はまた一段上になると信じます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)