これまでの記事:
渡辺修治著「どんがめ物語」の内容(3)和船と欧米の船の決定的な違いを明快に書いている
渡辺修治著「どんがめ物語」の内容(2)船を造る船大工の技を知りつくした天才的な船の設計者
渡辺修治著「どんがめ物語」の内容(1)造船技術者としての幅広い活動
==========================
この本の特に驚嘆すべき部分は第10章の「オーシャンレース開始」から第16章の「外洋ヨットの設計」までの外洋ヨットレースに関する部分です。
昭和23年に渡辺さんは初めて大島までの外洋レースにアメリカ人船長のもとで参加したのです。「渡鳥」という49フィートのケッチでフォルスターさんというアメリカ人が注文し渡辺さん達が作った艇でした。葉山から初島を回り大島を回り、葉山に帰ってくる100海里のコースです。17艇が参加し、3艇が日本人の艇で残りはアメリカ人の艇でした。
しかし「渡鳥」はトップセールが壊れてしまい途中で棄権します。
その後、渡辺さんは自分で設計した外洋ヨットを次々に作り、外洋レースに参加したのです。この本の最も興味深いとことろはヨットの設計によって外洋での性能が明快に変わるという事です。設計の良し悪しがヨットのスピードと復元力や荒れる波へ対する強さが決まるのです。スピードを上げようとすれば船の底に固定する鋼鉄製のキールを小さくしなければなりません。スピードは上がりますが復元力が小さくなって船の安定が悪くなります。少しの荒天でも棄権してエンジンで帰港しなければなりません。レースのコースを完走しなければ負けです。
このように相反する船の要求を全て勘定に入れて、外洋レースに勝つヨットを設計しなければなりません。何日も夜を徹して走るので、非番のクルーがゆっくり眠れる快適なキャビンも重要になります。
渡辺さんは次々に外洋ヨットを設計、製作し、外洋ヨットレースに参加し、自作したヨットの性能を確認します。そして改良を重ね最良のヨットを作り上げのです。
その一例が天城という名前の有名な木造艇です。下にそれをレストアした木造艇「AMAGI]の写真を示します。
この設計の改良と、外洋での性能の因果関係が明快な話になっているので感動的なのです。以前の記事で、渡辺さんは「船の設計の天才」と書きましたが彼は努力する天才なのです。
そして私がもっと驚いた事があります。渡辺さんは昼間は東造船という造船会社で漁船や鋼鉄船などの実用船を忙しく作っているのです。
夜に帰宅してから、自宅の庭先で自分のヨットをコツコツ作っていったのです。10艇も作ったのです。そして子供も育て円満な家庭を持っていたのです。
ヨット製作は夜に行うロマンチックな趣味だったのです。
その上、もう一つの重要な事は渡辺さんが日本の外洋ヨットレースの日本オーシャンレ-シングクラブ(NORC)という組織を作ったことです。
そして外洋レースのハンディキャップの計算方法を確立したのです。
外洋ヨットレースには大小さまざまなヨットが参加します。大小の違いだけでなく復元力の違い、キールの有無、水密閉性のキャビンの有無、セール総面積の違いなどなどがあります。つまり性能の大きく異なる船が一緒にレースをするのですから公平なハンディキャップを計算してレースの結果を補正して順番をつけます。
例えて言えば、サラブレット馬も農耕馬も木曾駒も一緒くたに走ってレースをするようなものです。走る速度の差とスピードの持続時間を考慮に入れてハンディキャップを計算し到着順を補正するようなものです。
ヨットの場合のハンディキャップの計算は非常に複雑です。ヨットの設計能力の持ち主でなければその複雑な計算が出来ません。更に机上の計算の間違いを外洋レースに何度も参加して補正しなければなりません。
渡辺さんだからこの計算が出来たのです。そのお陰で日本に初めて外洋ヨットレースが公平な審判の出来るスポーツとして受け入れられたのです。
この功績は絶大です。渡辺修治さんの一生は感動的です。
さて「渡辺修治著「どんがめ物語」の内容」と題する連載記事はこれで一まず終りに致します。自分がヨットに26年余も乗っていながら外洋レースに参加したことがありません。その為、この本の魅力を充分お伝え出来なかったことを非常に残念に思っています。どうぞお許し下さい。最後にいろいろ補足的な情報をご親切に送って下さいました、息子の渡辺康夫さま、その奥様の直美さまへ深く感謝いたします。(終り)