第一の理由:
美味しいものが沢山食べられるのです。美味しいシャンパンやワインや日本酒やビールが沢山飲めるのです。街中に楽しそうな音楽が流れています。
何時も忙しくてなかなかゆっくり会えない家族が一緒になって夕食の御馳走を食べることが出来ます。
家族が一緒に旅を楽しんだり出来ます。恋人同士は2人だけで静かにディナーを楽しむことが出来ます。
そうです。クリスマスは昔のお正月のように家族が一緒に団欒する楽しい機会なのです。
ちょっと隣の中国のことを考えてみましょう。中国では2月の旧正月を春節と言って、国民全員が故郷の実家へ帰ります。年老いた祖父母が久しぶりに孫達と会えるのです。北方の中国では家族が一緒に餃子を作り、思う存分食べます。餃子は昔から家族団欒の象徴です。日本の餃子とまったく違う意味を持っています。
欧米のクリスマスは丁度、中国の春節のような楽しさがあるのです。
第二の理由:
キリスト教では神様が人々を愛しています。あなたを愛しています。その神様が地上へつかわせたイエス様も人々を愛しています。あなたを愛しています。あなたはイエス様を愛しています。そのあなたが愛ししているイエス様が生まれた誕生日が12月25日なのです。愛している人の生まれた日だから楽しくなるのです。
例えばあなたの妻や夫が生まれた日には夫婦で誕生日を楽しく祝います。愛する子供の生まれた誕生日には一家で楽しく祝います。それと同じなのです。
それではイエス様は本当にあなたを愛しているのでしょうか?疑わしいものと感じる人々もいます。当然です。イエス様は約2000年も前に亡くなった人です。天上で神様の右の座に坐っている方です。私を愛しているかどうか分かりません。それが人間の本音です。
話はいきなり飛びますが、四国のお遍路参りでは同行2人と言います。自分と弘法大師様が一緒に歩くから同行2人と言います。歩いているあなたはそれを信じていますか?疑わしいと思いますね。それが人間の本音なのです。
しかし一瞬、私はそばに弘法大師様が居る感じがする事があります。
そうです。一瞬で良いのです。それが信ずるということなのです。
私は時々、一瞬ではありますがイエス様が私を愛していると感じる時があります。その他の時はそんな荒唐無稽なことは信じていません。なにせ私は輝く理性を持っているのです。
多くの人々は無宗教と言います。本当に無宗教かどうかは誰にも分かりません。
さて、それはそれとしてイエス様が愛してくれるから自分も愛すためには訓練が要るのです。「私はイエス様を愛しています」と何千回も言う訓練をするのです。その訓練は礼拝式やミサでも行えます。そうすると疑い深い人間でも時々一瞬ではありますがイエス様が愛してくれていると実感出来るのです。
我々、日本人が明治維新以来、尊敬している欧米人のキリスト教の信仰も同じようなものなのです。人間は皆疑い深いものなのです。
しかし、そんな人間をお互いに許し合えるようになれるのもクリスマスの時なのです。「お互いに許し合える」ということは「お互いに愛し合える」と同じことなのです。これは驚きです。全くの他人を愛せるようになるのです。それがキリスト教の愛なのです。神と人間の間の愛。イエス様と人間の愛。家族同士の愛。他人同士の愛。その向こうには「汝の敵を愛せ」という教えが見えてくるのです。
そんな事を考えながらクリスマスを楽しく過ごそうと思っています。皆様もこのシーズンを精いっぱい楽しく過ごしますように祈っています。(終り)