地震があれば核燃料棒の間に瞬間的に核連鎖反応をとめる減速材の棒が油圧で入るから原発は止まる。だから安全だとだけ、繰り返し、繰り返し教わりました。
一体、原子炉の専門家達もそのように理解し、信じていたのでしょうか?
水素爆発のことは、どうも誰も知らなかったようです。
福島原発が爆発したとき皆が異口同音に水蒸気爆発だと言っていたのです。
それが数日してアメリカの原発技術を良く知っていた人がそれは水素爆発だと明快に指摘したのです。
水蒸気爆発と水素爆発では爆発力に雲泥の差があるのです。建屋が粉みじんになれば原子炉の格納容器も割れ目が出来るのが当然です。
水素はどこから来て、空気と混じって発火したのでしょうか?
核燃料棒の被覆材 のジルコニーム金属が、循環が止まった水と反応して水素ガスを多量に発生するのです。核燃料の自然崩壊熱で炉心はますます高温になるのです。
炉心で多量に発生した水素ガスは格納容器の隙間から漏れ出し、建屋の内部に充満し、何かの電気火花で発火し、大爆発したのです。
昔、高温領域の化学反応の研究をしていた小生にとっては簡単に理解できる単純至極な現象です。
それを何故原子力を専門にしていた科学者や技術者が分からなかったのでしょうか?
3つの原因が考えられます。
(1)アメリカの安全工学は日本より格段に進歩していた時代にジェネラル・エレクトリック社の原発装置を輸入したのです。従って全ての日本人は原発は安全だと盲信してしまったのです。
(2)一般に日本人は前例主義です。爆発の前例が無ければ爆発しないと無意識に考えてしまう癖があります。自分の頭を使って深く考えることをしないのです。科学者も技術者もその傾向があるのです。危険極まりない科学の風景です。
(3)しかし少数ながら自分の頭で考え、電源が停って、冷却水が止まれば水素が発生し、大爆発すると考えた人も居たようです。
一方、政府も電力会社も原発の推進をしていたので、その危険性は伏せて置きたいのです。危険性を指摘する人々を配置転換したり、辞めさせたりして情報が明るみになる事を防いだのです。
このような日本独特の状況が相重なって「原発の安全神話」が出来あがってしまったのです。まったく残念です。
考える度にムラムラと怒りの感情が煮えたぎります。エリート教育を受けた原子科学者や技術者が自分の頭で考えなかった事を思うと怒りが湧いてきます。それは重大な怠慢なのです。この怠慢の罪の重大さも現在もエリート教育を受けた原子科学者や技術者が感じていない様子なので怒りを感じるのです。
そしてもっと深い原因は日本の学校に於ける「科学教育」の間違いにあるのです。
科学知識の暗記や数式の暗記だけをさせて、自分の頭で考える訓練を軽視しているのです。科学的に考える訓練は数多くの練習問題を解くことで身に付くのです。
私事で恐縮ですが、私がアメリカの大学で受けた訓練はそのようなものでした。
日本の大学では教授に教わった事柄を「大学ノート」に必死に書きとり、試験の前にその大学ノートを丸暗記するというものでした。
原子炉の水素爆発はかえすがえすも残念です。日本の科学教育を根本的に変えないとまた同じような悲劇が起きると思います。
皆様のご意見を頂ければ嬉しく思います。(終り)