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幼少の頃は仙台で育ちました。戦前、戦後の食糧難の時代でしたので果物といえばミカン、リンゴ、ナシ、スイカ、ブドウくらしかありませんでした。バナナやパイナップルは絵本だけで見るあこがれの果物でした。
ミカンは冬になると果物屋の店先に鮮やかな黄色を輝かせて並ぶのです。仙台は北国なので紀州から送られてくるのです。
食べ物の乏しい時代でもミカンだけは沢山食べ、子供心に庭にミカンの木があったらどんなに幸せだろうと長い間考えて育ちました。
昨日、近所を家内と散歩していたらミカンをたわわに実のらせた庭があるのです。それが数軒もあります。途端に幼少のころの夢を思い出し、急に楽しい気分になってしまいました。この庭の持ち主は北国の出身なのかも知れません。あるいは南国出身で故郷のミカンの木が懐かしくて植えているのかもしれません。
昔は果物屋という専門の店があちこちにあり、季節のうつろいとともに美しい果物が飾ってあったものです。紅玉リンゴは布で磨き上げてピカピカに美しく光って並んでいました。
最近はすべてスーパーマッケットで果物を買うので果物屋は消えてしまいました。
リンゴといえば長野県の飯田という町の街路樹は全てリンゴの木だと学校で習いました。真っ赤な紅玉林檎が街路樹に実っているのです。そしてそれを摘み取る人は居ないそうです。
その美しい光景を何十年も信じていました。
数年前に山でのキャンプ生活の訓練に参加する孫を送りながら、飯田市に一泊しました。そしてリンゴの街路樹を探します。無いのです。いくら探してもありません。仕方なくて駅の観光案内でしらべたら街の中央通りだけにあることが分かりました。
行ってみると幅の広い道路の真ん中が細長い公園のようになっていてそこに大きなリンゴを実らせた木が茂っているのです。車道も歩道もその両側にあります。それは素晴らしいリンゴの林なのです。一瞬度肝を抜かれたように見とれてしまいました。
しかし何十年と信じていた街路樹という光景ではありません。
後で聞くと、初めは街路樹として植えてあったそうです。しかしリンゴの木は広い土地が無いと育たないので次第に細長い公園のような場所に移植したと言います。
ところで昨日の散歩では柿の木のある庭も見つけました。下の写真のように柿の実がなっています。会津の「みしらず柿」をよく送ってくれた友人の星野君のことを思い出しました。会津の猪苗代湖の彼のヨットへ何度も招んでくれたのです。
霞ヶ浦の私のヨットにも何度も来てくれました。昨年、9月に亡くなってしまったのです。10月には霞ヶ浦で一緒にセイリングをしようという約束を遺して。
果物には夢があります。何か楽しい思い出と結びつぃた甘酸っぱいような気分を起こさせてくれます。
皆様は果物にどのような想いを持っていらっしゃいますでしょうか?
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)