火曜日に秋山郷と上高地の旅から帰ってみると、コンピューターが極端に遅くなり、思うよう作動しなくなってしまいました。
もうすでに5年も使っているPCなので老化現象だと思いました。
さっそくPC DEPOTへ行き今度は富士通のESPRIMO DH52/G を購入しました。
古いPCの中の文書や写真やソフトなどのいろいろを取り出して、新しいPCへ入れる作業が自分では出来ません。専門家が来てくれるまでの2日間はPCがほとんど使えなくて絶望的になってしまいました。
私はこんな年になってコンピューター中毒患者になっていたのです。
先程、このコンピューターのセットアップが完了しました。
気分が一瞬にして下の写真のように晴れ晴れしました。
また勇気百倍でブログを書いていきますのでよろしくお願い申しああげます。
藤山先生。ご無沙汰しております。お元気でご活躍のご様子、何よりです。
先生のブログの中で私を取り上げていただいて、汗顔の至り、恐縮しております。
言うまでもなく、藤山先生は、私がご面識を頂いたクリスチャンの中で、忘れえぬ方です。私の所属教会の礼拝までご足労頂いて、交わりの時を持て、感謝に堪えません。次の機会には、もう少しゆっくりと信仰のことなどについてご教示いただけたらと存じます。
私にも何人か、クリスチャンで大切に思っている方がおります。その一人は高校の担任の恩師です。その方は、公立校の教師であるにもかかわらず、折に触れて、私たちに大胆に伝道されていました。その当時、私はキリスト教に興味がなく、まさに「馬の耳に念仏」でしたが、後年、プロテスタントの信仰に導かれたことを思うにつけ、主の導きを思わずにはおられません。
もう、ひとかたは、大学時代のヨーロッパ放浪旅行の折、アヴィニョンで出会ったご婦人です。夜の法王庁の前の広場で、暇に飽かせて、聖譚劇を見ていた私に声をかけられ、その当時も全くキリスト教に疎かった私に「三位一体」から説き起こされ、信仰への道筋をつけてくださいました。そのご婦人とはミッションの集会に伴われたり、日曜の教会の御ミサにともに与ったりいたしました。
このように、今、私が主への信仰の特権に与っているのは、さまざまな人々を通じて、主の御計画が私に働いたと考えざるを得ません。
先生をはじめ、そうした方々に対しては、ただただ感謝の一言です。
そして、すべてを統べたもう主への服従の営みの恵みに喜びと感謝を捧げその偉大なご計画の一端が私のような小さな者にも及んだ奇跡に驚くばかりです。
藤山先生におかれましては、ますますご活躍の機会を持たれ、福音を伝える証人として大いに用いられることを、祈って止みません。
========長文を失礼いたしました。===============
キリスト教のミッションスクールの卒業生はほとんど洗礼を受けません。キリスト教徒にはならないものです。
それはオカブさんの場合とよく似ています。彼の高校の担任の恩師がいくらキリスト教へ勧誘しても馬の耳に念仏だったのです。それが外国で偶然会った婦人のお陰でキリスト教の洗礼を受けたのです。
考えてみるとキリストの12人の弟子も皆、偶然誰かに会って、偶然話を聞くことになってキリストの弟子になったに違いありません。
当時はまだキリスト教という宗教は存在していない時でした。ユダヤ教のイエス派が育っていたのです。イエスの教えはユダヤ教の一派にすぎなかったのです。
保守的な律法学者や預言者の戒律主義に疑問を抱き、神の愛を説いたのです。そして場合によっては律法を守る必要が無いと主張したのです。
そして神の愛はユダヤ人だけでなくサマリア人や全ての民族に平等に与えられると説いたのです。
民族宗教のユダヤ教が世界宗教になる大きなキッカケを作ったのです。
キリスト教はそのお陰で世界中に広まり、日本にも1549年やって来ました。カトリックのザビエルが伝えたのです。
そのキリスト教も江戸幕府の禁教政策で途絶えたように見えました。しかし隠れキリシタンが信仰を守り、それを明治の日本人に伝えたのです。
とても人間業とは思えません。数知れずの幸運な偶然が隠れキリシタン達も守ったに違いありません。
偶然の重要性は宗教だけに限ったわけではありません。生涯における職業上での出来事でも同じです。そして結婚相手も偶然のお陰で決る場合も多いようです。
このブログも、甲斐駒岳の麓に山林の中で木内正夫さんに偶然薦められたお陰で2007年に始めたのです。それまではブログというものがこの世に存在していることすら知りませんでした。
その上、このブログを読んで下さる方々も偶然このブログを見つけたのです。そんな方々が多いと思います。
ですから私は「偶然」という目に見えないものを非常に有難く思っています。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)