古いパソコンが寿命のようなので11月1日に富士通の新品を買いました。専門家に家に来てもらい前のパソコンにある情報をすべて取り出して新品のパソコンへ入れて貰いました。そしてインターネットに繋いでブログも書けるようにしてもらいました。それからがいけません。何度か故障してインターネットが切れてしまいます。パソコンの中身を完全に綺麗にして再度立ち上げて貰いました。この作業が数日かかり昨夕やっと調整しなおしたパソコンが我が家へ戻って来ました。息子のパソコンを借りてなんとかブログ記事だけは毎日更新しました。
しかし自分のパソコンが壊れているのでネット社会とは断絶したような気分です。
そこで暇にまかせてパソコンの功罪をいろいろ考えています。
パソコンが壊れて失ったものはネット社会で出来た人々との絆でした。本気で考えて作り上げた絆でしたので大きな喪失感が襲って来ました。それは暗い毎日でした。
しかし時間が過ぎるに従って諦めの境地に変わって行きます。
もともとネット社会はヴァーチャルな世界なのです。仏教で言う「空」なのです。それにこだわり過ぎた私が間違っていたのです。
ネット社会とは縁を切ろうと思いました。しかし「空」と知った上でネット社会を大切に思い、本気で付き合うことも大切だと信じるように考えが変わってきました。それこそがお釈迦様の教えのような気がいたします。
この境地こそパソコンが壊れて得た最大なものと思っています。
一方毎日する事も少なくなり本を読む時間が増えました。
この秋に長野と新潟の県境の秘境、「秋山郷」の旅に行ったのでそれに関する記述のある「北越雪譜」を丁寧に読み直してみました。
「北越雪譜」は1770年(明和7年)に越後の塩沢に生まれ、1842年(天保13年)に亡くなった豪商、鈴木牧之が書いた名著です。雪深い魚沼郡、塩沢とその近辺の人々の豪雪の中での生き方を子細に書いています。商人や農民の生活を丁寧に観察し記録しています。そして山深い秋山郷の13の貧しい山村を巡り人々の生活の実態を記録しています。そこでは大きな囲炉裏を囲んだカヤ壁の掘っ立て小屋に一家が雑魚寝しています。フトンは一切なく冬はムシロの袋にもぐって寝ます。粗末な着物を着たままもぐって寝るのです。家具は一切なく大きな囲炉裏に鍋が一個だけです。食べ物は稗と粟だけです。病人が出るとコメのお粥を作って薬として食べさせるのです。
飢饉で一村が全滅した時もあったのです。その生活ぶりは縄文時代のようです。鈴木牧之は冷静に記録します。その態度は文化人類学の研究者のようです。
そのほか苗場山への登山の記録、クマ狩りの仕方、栃餅の作り方などなど興味深い記録にあふれています。その上、彼は絵も本格的に習ったので挿絵が重要な役割をしています。
例えば虫眼鏡で観察した雪の結晶の図は正確で現代科学の専門書のようです。
江戸時代の農民の生活の実記録として貴重な資料です。その上、不思議な話が散りばめてあり気楽に楽しめるような編集になっているのです。
現在、鈴木牧之は塩沢町の誇りとして下の写真のような記念館も出来ています。
パソコンが壊れて暇になり、読書の時間が増えるのも得たものの一つです。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)