後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

シクラメンの花の季節になりました。そして倒産してしまった花屋さんの思い出

2012年11月30日 | 日記・エッセイ・コラム

毎年、暮が近づくと花屋さんにシクラメンの花の鉢が並びます。家内はいくつかの鉢を買って、先生、お世話になった恩人や両親や姉へ贈ってました。でもみんな亡くなってしまい今年は姉と自分自身のためだけになってしまいました。一番上は家内用と自分用です。別々の店で買って来ましたが趣味が一致していたので笑ってしまいました。

二番目の真紅の鉢はは姉へ贈りました。その下の3枚の写真は花屋さんに並んでいた花々です。

今日買って来たシクラメンの花と店に並んでいた花の写真をお送りいたします。

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毎年シクラメンの花を買うと、なくなってしまったある花屋さんのことを思い出します。

私達が何十年も通っていた大きな花屋さんが五日市街道沿いにありました。それが数年前に突然無くなってしまったのです。倒産してしまったのです。

働き者の大柄な明るい奥さんが花を売り、静かなご主人がいつも花々の手入れをしていました。手伝っていた若い人々も皆元気で優しい人ばかりでした。

みんな、みんないなくなってしまいました。

それは我が家にとっても悲しい大事件でした。

その花屋さんへは、毎年暮れに、シクラメンの鉢を数個買いに行ったものです。パンジーや芝桜の苗、クロッカス、フリージアの球根も買いました。

庭木もいろいろあり、海棠やライラック、源平桃の苗木を買いました。家内の母が好きな牡丹桜の木も買いました。大きな花屋さんで4棟の温室には熱帯の花々がいつも咲いていたので楽しい場所でした。

その花屋さんのあった場所は現在、大きな回転すし屋さんになっています。

最近は武蔵境の東八道路に面したJマート店の広い花売り場へ時々行っています。

広い売り場には鉢植えの花も、切り花も庭木も売っています。売り場を歩き回りながら時々写真も撮れます。珍しい花もあります。

上の3番目から5番目の写真はこのJマート武蔵境店で撮って来た写真です。

それにしても花々にはいろいろな思い出がまつわりついています。その思い出を楽しみながら花を買う時はささやかな幸せな時間です。

間もなくクリスマスもやって来ます。皆様も楽しい時を過ごせますようにお祈り申し上げます。    (終わり)


12月16日の衆議院選挙・・・大津波と原発爆発で変わった日本人の人生観

2012年11月30日 | 日記・エッセイ・コラム

現在、12月16日の衆議院選挙にむけて人々はどの人へ、どの党へ投票すべきか迷っています。

原発廃止か推進かという問題以外にも日米関係や日中関係をどうするかという外交問題も重要ですし、経済政策も非常に重要です。すべての分野の政策提案を考えると自分の考えと完全に一致する候補者はなかなか見つかりません。

そこで個々の政策提案にとらわれず、最後は自分の人生観に近いような感じがする候補者へ投票しようかとも思っています。すなわち感じ方によって候補者を選ぶことになります。

このブログを始めて丁度5年になります。ブログを書いていて私の人生観も変わりました。科学者、あるいは技術者として信じていた事に反対する人々が多いことに気がつきました。反対する人々には合理的でない人が多いのです。理屈抜きで直観的に判断しています。

その様子を虚心坦懐に観察した結果として私は、2009年2月24日に原子力発電を廃止して行くべきという記事を掲載しました。(原子力発電に反対し、現実的な解決法を提案します」)

原子力発電の問題だけでなく日米関係や日中関係、そして国内の経済政策についても所詮は将来の問題です。一見合理的な予測でも、予測はあくまでも予想に過ぎません。全ては不確定な仮説に過ぎません。

昨日は、それを考えなが下の写真のような神代植物公園を散歩していました。そうしたら12月16日の選挙には、日本人の人生観がどのように反映されるかという問題に行き着きました。

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2011年3月11日に1000年に一度という大津波が東日本を襲ったのです。そしてそれに続いて福島にある原子力発電所の4基の原発が爆発したのです。それ以後、いろいろなことがありました。

しかしこの未曾有の大震災と大事故で日本人の人生観がかなりの程度変わったように思います。

2011年3月11日までは、経済成長こそが幸せな生活を保障し、そして経済成長だけが日本の幸福と信じる人が多かったのです。GDPのランキングが2位だったことを自慢していました。

しかし大津波と原発の爆発はそのような人生観を根本から変える可能性を与えたのです。

経済成長を犠牲にしても安全な国に住みたいという考えが広まったのです。日本が貧乏国になっても放射能の恐怖の無い国になったほうが良いという人生観に変わったのです。

反原発を主張する人々は日本が貧乏国になることは覚悟の上なのです

一方、原発推進派は日本の経済成長のためには原発が絶対必要だという理論を構築し、反対派を攻めたてます。反対派は経済成長はもう不要だと覚悟しているのですから議論が噛み合いません。互いに暖簾に腕押しの空虚な対立が続いているのです。

突拍子も無いことを連想するのは私の悪い癖です。この「もっと貧乏になっても良い」という考えが、何故か下の長崎にある26聖人の像を思い出させたのです。彼らは現在の日本の様子をどのように思っているのでしょうか?

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それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和お祈りをいたします。後藤和弘(藤山杜人)

=====2009年2月24日掲載記事と補足===========

矛盾した考え方があなたを幸せにする(2)私は2009年に原発反対に態度を変える事が出来た!

個人的な経験ですが、私は1961年に東海村の日本原子力研究所で日本最初の原子炉の運転講習会に参加しました。それ以来、2009年2月まで一貫して原子力発電賛成の態度を持ち続けていたのです。

2007年にブログを書き始めてから、原子力発電の分かり易い解説記事を何度か掲載しました。そしてその安全性を説明する記事も掲載しました。ところが、色々な反対意見のコメントを貰ったのです。

その反対意見は立場を変えれば当然な意見です。

その結果、私は「矛盾した意見や見解も、両方を受け入れて、自分で咀嚼してしまえば幸せになれる」という考えを持つようになりました。

原発賛成者には技術者や政治家が多いのです。大会社や役人も賛成派でした。

要するに日本の主流派が賛成していました。しかし共産党や社会党は反対です。その上大多数の主婦が反対していました。

私は原発の事故の確率は飛行機事故の確率より小さいように考えられるという説を盲信して推進に賛成でした。あくまでも技術的な視野からだけ考えていたのです。

共産党や社会党の政治的反対には感情的に反発して来ました。

ところがブログを始めてみると主婦達の反対意見は女性の本能的な直感からの反対です。

「一旦事故が起きたら広範囲に放射能がまき散らされる」。「そして子供の成育に長期間の悪い影響がでる」。この2つの理由だけです。少しも政治的な意見が混じっていません。

技術的な確率論だけから考えて来た私はこの盲目的な反対論を軽蔑していました。しかしよくよく考えて見ると一旦事故が起きたことを想定すると主婦達の考えの重要性が理解出来たのです。

その上、ここが一番重要な事ですが、主婦達が恐怖を抱いて生きている国は幸福な国とは言えないという考えです。世の中の全ての女性が少しでも恐怖を抱いて生けている国は不幸な国なのです。

「国家の幸福度」という指針を考慮に入れれば原発は次第に縮小した方が良いのです。

====補足=======================

このように私は2009年に原発反対者になりましたが、2011年にあの福島の4つの原発が大爆発したのです。主婦達の主張がまったく正しかったのです。

さて原発の現状はどのようになっているでしょうか?

現在日本にある54基の原発のうち48基が定期検査で全て停止します。大飯原発の2基だけが稼働しています。

そして定期検査終了後の再稼働の開始には、原発のある県の知事の認可が必要です。多くの知事は福島県の困難な状況を見て、再稼働の認可に反対です。

従来から反対運動をして来た主婦達の意見の正しさを認めないわけにはいけなくなりました。

その上、原発が無くても日本全国の電力のやりくりがつくことも明らかになって来たのです。

この情勢では日本の原発はその数を減少せざるを得ません。完全撤廃にはまだ問題が残っていて早急には進みませんが。

しかし定期検査中の原発も、運転中と同じ位危険なことを忘れてはいけません。

数百本の核燃料棒が貯蔵プールの中にあるのです。プールの水が無くなる事故が起きればすぐに水素爆発をします。福島原発の4号炉と同じ爆発をするのです。

定期検査中の原発の現状をマスコミはもっと突っ込んだ取材をして実情を公開すべきと思います。

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