ヨーロッパ文化を知るためにはラテン語が大切だとよく言われています。
ギリシャとローマの文化がヨーロッパを作ったのですから、ギリシャ語とラテン語が重要なのかとボンヤリ考えながら今日のカトリックのミサに出ていました。
ところがそれだけでは無かったのです。ラテン語はもっと深くヨーロッパで最近まで使用されていたのです。
今年は1962年に開催されたバチカン公会議の50周年目なので、その公会議への感謝の祈りをする年と言います。
今日のミサのパンフレットに大倉一美神父さまがこの公会議の前後で何が大きく変化したか解説を書いています。
驚いたことに50年前まではカトリック教会のミサは日本人に理解されないラテン語で行われていたのです。祈りも聖歌もラテン語です。説教だけは日本語だったようです。
ミサの形式も現在のロシア正教のように聖職者はすべて祭壇の方向へ向いたままでミサ参加者の方へはほとんど顔を向けなかったようです。
仏教のお葬式ではお坊さんが意味の分からないお経を長々と唱えます。お経の幾つかは漢文なので意味が想像出来るのもあります。
しかしラテン語は大部分の日本人にとってはチンプンカンプンです。
考えてみると1542年にザビエルが日本へカトリックを伝承して以来、すべてラテン語を用いていたのです。ですから神父になるためには、ラテン語が上手に使いこなせる能力が絶対条件だったのです。
1962年のバチカン公会議で初めてラテン語を止めて現地の言葉を使う方針に決定したのです。そして聖職者は信者の方向を向いて、対話形式でミサを進めることにしたのです。
それは大きな革命でした。私は1971年に洗礼を受けたのでラテン語はすでに使われていませんでした。
このブログでご紹介したように、最近では三陸の気仙地方のように方言で聖書を書いたり、祈ったりするカトリック教会があるのです。そしてそれをローマ法王が推奨しているのです。
カトリックでラテン語を大切にしているのはローマ帝国時代にカトリックが保護、推奨され盛んになったためと思います。
話は変わりますが、ヨーロッパ人のインテリの条件は古代ギリシャ語が読めて、ラテン語が出来ることと聞きます。
日本でも知識階級は漢文が読め、日本の源氏物語や徒然草などの古文が読めるそうです。
現在、日本の高校や大学で漢文や古文を習うようにヨーロッパでは古代ギリシャ語やラテン語を教えている学校が多いそうです。
今日のミサの間に、こんな取りとめも無いことを考えていました。その罪滅ぼしにケルンの大聖堂の写真をお送りします。教会の周りにいる人々の寛いだ様子をご覧ください。教会は人々の心が解き放たれる場所なのです。イエス様が人々を愛してくれるのです。
特にケルンの大聖堂をご紹介したのは理由があるのです。第二次世界大戦の直後の苦しい時代にこの教区は寄付を集め、東京教区のカトリック教会の復興を支援してくれたのです。
元々は古代ローマ共和国の公用語として広く普及した古代言語である。西ローマ帝国滅亡後も、ラテン語はローマ文化圏の古典文学を伝承する重要な役をはたし、勢力を伸ばすキリスト教会を通してカトリック教会の公用語としてヨーロッパ各地へ広まり、祭祀宗教用語として使用されるようになると、中世には、中世ラテン語として成長。ルネッサンスを迎えて、自然科学・人文科学・哲学のための知識階級の言語となる。さらにラテン語は、読書き主体の文献言語や学術用語として近世のヨーロッパまで発展存続。現在もバチカンの公用語であるが、ラテン語の文章は、日常ではほとんど使われなくなったとはいえる。しかし、各種学会・医学・自然科学・数学・哲学・工業技術など各専門知識分野では、世界共通の学名としてラテン語名を付けて公表する伝統があり、新発見をラテン語の学術論文として発表するなど、根強く用いられ続けている。
もともと、 イタリア半島中部のラティウム地方(ローマを中心とした地域、現イタリア・ラツィオ州)においてラテン人により用いられていた言語であったが、ローマ帝国の公用語となったことにより、広大な版図に伝播した。ギリシア語から多くの語彙を取り入れ、学問・思想などの活動にも使用されるようになった。東ローマ帝国においてはやがてギリシア語が優勢になったが、今日の西ヨーロッパに相当する地域においてはローマ帝国滅亡後もローマ・カトリック教会の公用語となり、長らく文語の地位を保った。現在でもバチカン市国の公用語はラテン語である。たとえば典礼は第2バチカン公会議まで、ラテン語で行われていた。