まずバラの花のお好きな方々へ写真を3枚お送りいたします。
11月5日に箱根町の山のホテルの庭で撮った秋バラです。
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よく見るとバラの花は気品があってその上ふくよかな暖かさがあります。
このバラの花と冷たい鉄の関係について日本の高度成長期のある歴史的エピソードとして書いておきたいと思います。
日本の経済が急速に伸びだしたのは東京オリンピックのあった1964年ころからでした。当時の工場地帯には高い煙突が何本も立ち、煙をもうもうと吐き出していました。その煙突の数の多さと煙を見て人々は「ああ、日本も復興した!」と感激したものです。
しかしあまりにも煙が多くなると喘息や気管支炎になる人が増え、いわゆる「公害病」が起きるようになります。工場廃水で汚染された海の魚を食べた人が悲惨な「いたいいたい病」にもなったのです。工場廃水に含まれていた有機水銀が原因でした。
そこで工場は排出される煙を取り除き排気するものは水蒸気と炭酸ガスにだけしたのです。喘息や気管支炎の原因になる粉塵や硫黄酸化物ガスや窒素酸化物ガスを取り除いてから煙突から排気するようになりました。そのうち煙突も公害の象徴のようで目障りなので撤去してしまいました。排気は巨大な低い排気管から行い、工場の外からは見えなくなりました。強力な送風機を使えば高い煙突は必要無くなったのです。
こうして1970年代には日本の工場地帯からは高い煙突が消えてしまったのです。
次に起きた歴史的運動は「工場緑化運動」でした。工場の周囲や空いた敷地に常緑樹を沢山植えて外からは工場が見えなくしたのです。「工場を美しい森の中に作る」というコンセプトです。
その頃、私は大学で鉄鋼製錬の基礎研究をいていました。
当時は製鉄会社の技師が基礎研究の成果を自分の工場に導入しようという情熱を持っていました。その情熱が高度成長の原因の一つでした。その結果、私は日本鋼管、川崎製鉄、八幡製鉄、富士製鉄の工場の見学に招かれたものです。見学の前後には技師たちと鉄鋼製錬の基礎に関する討論会が必ずついていました。その時気が付いた事は、工場の技師たちは、外国における鉄鋼に関する化学や物理の研究成果をよく知っていることでした。彼らは工場内でグループを作り外国の専門書や研究論文を自主的に勉強していたのです。今思えば、その熱情も高度成長の一つのカギと思います。兎に角、当時の技師たちは燃えていたのです。
さて話がそれてしまいましたがバラの花々と鉄の話へ戻ります。
上に書いた「工場緑化運動」では鉄鋼業の各工場ではキョウチクトウやツバキのような常緑樹を植えたのです。背が高くなるクスノキやヒマラヤ杉なども植え工場を外から見えなくしたのです。
その中で特に日本鋼管の新鋭の福山工場では周囲に高い鉄製のフェンスを作り、そのフェンスにバラを絡ませ、大輪の花を咲かせたのです。山陽新幹線の福山駅を降りて車で日本鋼管の工場を訪問すると、まず500m以上の長さのフェンスに見事な白いバラの花がえんえんと咲いているのです。工場内に入ると表通りに面したフェンスだけでなくあちこちの空き地に色とりどりのバラの花が咲いています。案内した技師が、「バラの花園の中の工場」、これがコンセプトですと自慢そうに言います。
福山市も勢いづいて「バラの町、福山市」という看板を新幹線の駅に掲げて観光客を呼び込んでいます。下に溶鉱炉工場の写真を示します。これをバラの花で飾り、その内側に背の高い常緑樹を植えて近接する道路からは見えないくなるように努力したのです。
近年、日本鋼管の経営は苦しくなり川崎製鉄と合併し、会社の名前もJFEと変わってしまいました。えんえんと続くあの見事なバラのフェンスも無くなったのではないかと心配しています。
日本の高度成長期のある歴史的なエピソードとしてご紹介いたしました。
それはそれとして、今日も皆様の健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)