後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ルネ・ラリックの工芸品を少し考えてみました

2012年11月05日 | 日記・エッセイ・コラム

ヨーロッパ文化と言えば、キリスト教、油絵、クラシック音楽、などを思いつきます。

しかし身近な日用品を美しく飾った工芸技術もヨーロパ文化のもう一つの側面です。ルネ・ラリックは1860年にフランスで生まれ、1945年に死んだ天才的なガラス細工の職人でした。装身具、香水瓶からオリエント急行の壁飾りガラスまで実に多種多様のガラス細工を生涯にわたって作りました。箱根ラリック美術館には彼の一生の工芸品を数多く蒐集して展示してあります。その全てを見て回ると、精緻な細工と美しさに感動します。そして19世紀末のヨーロッパ文化の爛熟と退廃的な雰囲気が身近に感じられるのです。ガレー、ドームのアールヌーボウに共通する感覚です。そして彼の後半の作品はアール・デコなのです。

誤解を恐れずに書くと、その美には病的な影がつきまとっています。私は今まで「世紀末の退廃美」という言葉の意味が判りませんでした。今回初めて理解できました。

その上、工芸品と芸術品との境界があまりはっきり判りませんでした。しかしラリック美術館を見たお陰で、その違いを説明する事が出来るようになりました。

ルネ・ラリックのガラス細工は優れた工芸品で、それと対照的な物は、箱根彫刻の森にあるヘンリー・ムーア、ザッキン、ブールデル、などなどの彫刻は芸術品です。工芸品は美しく作った実用品です。彫刻は実用品ではありません。実用上は何の役にも立たない無駄な存在です。しかし人間に何故か感動を与える存在なのです。

さて下の2枚の写真でルネ・ラリックのガラス細工を説明します。上はオリエント急行のサロン・カーの仕切り壁にある3枚の半透明なガラスの飾り板と天井にある電燈のシェードがラリックの作品です。

下の写真はフォードの初期の乗用車のラジュエーターの止水栓の上を飾ったカーマスコットで、半透明のガラスの飾り物を示しています。

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箱根のラリック美術館には建物の美しい内装や浴室のガラス壁から多数の香水ビン、女性の装身具まであらゆる種類のガラス細工、金細工、宝石細工が徹底的に蒐集され展示されています。コティ香水会社のニューヨーク支店の建物の内外装の映像もあります。ルネ・ラリックの一生の息使いが感じられるのです。

このように一人の職人の作品を網羅した美術館は稀です。感動します。そして彼の作品が世紀末の退廃美を漂わせてるのです。

ヨーロッパは20世紀になるとロシア革命が起き、キリスト教を排除した共産主義国家が出来るのです。そして第一次世界大戦と第二次大戦が起き、大戦争の世紀を迎えたのです。世紀末の文化はその前兆だったのです。

そのような事を考えさせる箱根ラリック美術館です。そしてその近所にある箱根ガラスの森美術館は古代からベネチアガラスに至るまでのヨーロッパのガラス工芸の優れた作品を展示しています。ラリック美術館を理解する上で大変参考になりました。箱根に行ったら、この2つの美術館と箱根彫刻の森美術館をご覧になると面白いと思います。(終わり)


今日は箱根の仙石原に一泊の小さな旅に出ます・・・箱根ガラスの森美術館と箱根ラリック美術館

2012年11月05日 | 日記・エッセイ・コラム

箱根の仙石原には箱根ガラスの森美術館と箱根ラリック美術館があります。

今回の旅でも時間があったら是非訪れたいと考えています。

昨年の夏に初めて行って楽しかった所です。

そこでその時の記事を下にご紹介したいと存じます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。

後藤和弘(藤山杜人)

=======箱根ガラスの森美術館==============

ヴェネチアのガラス工芸の美を集めた美術館です。なにか世紀末の退廃への道行きを暗示するような展示物が丁寧に蒐集されてあります。

箱根ガラスの森美術館の風景写真をお送りいたします。

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箱根、仙石原にあるルネ・ラリック・ミュージアムにフォード社の初期の車の実物が2台あります。公道は走れませんがエンジンは動き、構内は走れるそうです。

何故、苦労してアメリカから運んで来たのでしょうか?それはルネ・ラリックが精魂込めて作ったガラスの彫刻がボンネット先端に飾ってあるからです。

その2台の車の写真をお送り致します。

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======オリエント急行の車両===========

ラリック・ミュージアムにオリエント急行の車両があります。コーヒーや紅茶、ケーキを楽しみながら寛ぐサロンカーです。

1929年製の車両でパリとニースの間を1990年まで走っていた車両でした。毎月1回はトルコのイスタンブールまで行っていたそうです。

この一輌だけを輸入して船で運んで来ました。何故、苦労して運んで来たのでしょうか?

その理由はサロンカーの壁ガラスやランプとその傘などの内装品がラリックの芸術作品だからです。

サロンカーの写真をお送り致します。

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