後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ロシアの宗教音楽・・・共産主義国家になる前のロシア文化

2012年11月18日 | 日記・エッセイ・コラム

日本が明治維新をした時代、ロシアはニコライ王朝の文化が輝いていました。

日本人はすぐにロシア文学を翻訳して広く読まれ、日本の文学作品へ大きな影響を与えたのです。

今でもドフトイスキーやツルゲーネフやゴーリキーの作品は若い人にも読まれているのです。

偉大な作曲家、チャイコフスキーの交響楽はその東洋的な哀愁を帯びていて日本人には大好きな人々が多いのです。

ところが1917年に革命が起きロシアがソ連という共産国家になってしまったのです。そして伝統的なロシア文化が破壊され、特にキリスト教は徹底的な弾圧を受けたのです。

これで魅力的なロシア文化が根絶してしまったのです。

ところが明治維新前に函館に出来たロシア領事館とともにロシア正教がやって来たのです。そのロシア正教がやがて東京のニコライ堂になったのです。

ロシア正教は日本正教と名前が変わりましたがロシアの伝統的な宗教を現在へ伝承しているのです。

その儀式で歌われる聖歌は古いロシアの文化の象徴です。

3年前の11月に私はニコライ堂を訪問して、その音楽を聴いてきました。以下はその時の感動を書いた文章です。

それは3時間近い絢爛豪華な音楽ショーでした。

楽器を一切使わない四部合唱が広壮な教会堂に響きわたり、きらびやかな金色の冠と法衣の裾をひいた数多くの聖職者が静かに動きます。

祈りの美しい声が合唱とハーモニーをなして聞こえます。香りの良いキリスト教の薫物の煙りが会堂内に流れています。数百本のローソクの光が幻想的に輝いて、赤緑青など多彩なステンドグラスを美しく見せています。

これは大掛かりなロシアの音楽芸術のページェントなのです。少なくともそのように感じさせる日曜礼拝(聖体礼儀)でした。

東京のお茶ノ水のニコライ堂で毎日曜日の午前10時から13時までの3時間続きます。

本当のことを書くと、自分は退屈するだろうと思っていました。しかし余りの素晴らしさに気がついたら午後1時になっていたので。

日本人の多くは宗教に関心がありません。宗教と聞くと避けて通る人もいます。お寺にはお葬式の時だけ行きます。そのような人でもニコライ堂の素晴らしい合唱藝術には必ず感動すると思います。

ヨーロッパのオペラの起源は、このような礼拝式における聖職者の言葉と合唱隊の歌による対話にあったのではないかと想像できます。納得します。オペラが好きな方々は是非ご覧下さい。

さて毎週日曜日に気軽に楽しめると言っても少しのルールがあります。

まずキチンとした服装で午前9時40分には入場しておいて下さい。信者でない人々が座ってよい席は決まっています。会堂の一番後ろにある木のベンチだけです。その前に太い4本の柱が有りますが、そこから内側へは入ってはいけません。

受け付けで信者でないと言うと、100円でローソクを1本わけてくれます。3,4本買います。それをベンチの前のマリア様の絵(イコン)の前のローソク台に火をつけて立てます。そしたらベンチに座って自分の席を確保します。後は音楽を楽しめば良いのです。10時になると数多くの鐘が鳴りわたり、着飾った聖職者の行列が入ってきます。

礼拝ですから途中で、祈りの言葉を印刷したカードを持ってくる人がいます。二コリと微笑んで断っても結構です。その後しばらくして、大きく平らな献金籠を持った人もベンチの席まで回ってきます。一切無視しても良く、感動した分を入れるのも自由です。

3時間の間、立って見たり、座って見たりします。しかし立ったり座ったりは他の信者のタイミングに合わせるのもエチケットです。ベンチ席にもロシア人らしき本物の信者が混じって座っています。彼らの祈りの邪魔をしないようにしましょう。

3時間と長いので事前にお手洗いの場所を受付で聞いて確認しておきます。会堂内には無くて、向かいの建物の中にあります。

音楽の発展の歴史だけでなく、宗教儀式の歴史に興味のある方々にとっても非常に参考になる礼拝式です。尚、正教会では日曜礼拝を「聖体礼儀」とよびます。

043

018 029 033

佛教でもキリスト教でも、とにかく宗教というものに少しでも関心のある方はお茶の水のニコライ堂の日曜礼拝を一度はご覧下さい。本を幾ら読んでも分からない宗教の本質的な部分が簡単に理解できます。

日曜礼拝のことを日本正教会では「聖体礼儀」と言います。きらびやかな聖職者の行列と美しい宗教音楽の極致のような混声合唱で神への崇拝を示しています。人間の神を敬う深さを儀式で示すとこのようになるのです。宗教の全てに普遍的な神への憐れみを願う儀式です。キリストの聖なる体の一部を(聖体)を頂くという儀式です。

日本正教の聖体礼儀は2000年前のキリストの生きていた頃のユダヤ教の礼拝式の形式を墨守してきたのです。新約聖書は始めはギリシャ語で書かれたのです。そのギリシャ語の原典に書いてある内容を忠実に教えています。キリスト教の正統的な宗派なので正教と言います。

この宗派はギリシャからビザンチンへそしてロシアへ伝わって、1855年函館へ上陸しました。

日露戦争の時、ロシア本部から独立し、日本に根付いて日本正教会という宗教法人になりました。しかし教義と礼拝形式は2000年前の通り、一切の変更無しで、まったく同じなのです。宗教の本質の一つは「永遠に変わらない」という性質を含んでいます。そのことを礼拝式を実見して体験できるのです。

しかし、少しでも宗教に関心のある人はヨーロッパで起きた宗教改革のことを知っています。各国の近代化革命も共産主義革命も知っています。アメリカ流の自由と平等な民主主義も知っています。そのような極く普通の常識人がニコライ堂の日曜礼拝を見ると非常に大きなショックを受けるかも知れません。そこには聖職者と合唱隊と平信徒の恐ろしい差別があります。神に祈る儀式の大部分は聖職者だけがします。合唱がそれを助けます。平信徒は黙って祈るだけです。

昔、ロシアには貴族と農奴しか居ませんでしたとよくと聞きます。農奴は文盲でしたから祈祷書は読めません。代わりに聖職者が全て読みます。そんな封建時代の圧政を連想させるのです。正直に言えば、見てはいけないものを見てしまったような暗然とした気分になりました。でも次の瞬間、気が付きました。それは自分の勘違いで、会堂全体にイエス様の笑顔が見えるようです。マリア様の優しい眼差しが見えます。壁に掛けた無数のイコンのマリア様は微笑んでいるのです。

儀式の見かけ上の荘厳さは人間の弱さの表れなのかも知れません。しかし堅苦しい儀式が、実は自分の郷里の実家に帰った時のように寛いだものに感じられるのです。

普通の日本人がニコライ堂の日曜礼拝をみるとき一番重要なことは、儀式の豪華さや厳粛さの中に漂う「マリア様の優しさ」や「イエス様の慈しみ」を想像しながら見ることと思います。場違いな所に来たという感じや違和感が消えてなくなり、心から楽しめます。宗教というものに少しでも関心のある方は是非一度、ニコライ堂の日曜の聖体礼儀をご覧下さい。本には書いてない色々なことをご発見出来ると思います。

今日は日曜日なので宗教音楽について書きました。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)