老人はよく強がりを言います。老いて、ますます楽しくなりますというセリフをよく聞きますがウソの場合が多いのです。強がりです。そして周りの家族に余計な心を配させないように虚勢をはっているのです。
今日は北風の冷たい公園へ行きました。国立市と立川の境にある青柳緑地公園を独り歩きながら、この老人の本音を書いてみようと考えてきました。
何故、老人は悲しい毎日を送るようになるか?その理由は若い人々には想像もつかないものなのです。その理由を書く前にまず晩秋の寂しげな青柳緑地公園の写真をお送りいたします。
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老人夫婦も健康で子供たちや孫達がいくら親切で暖かい家族に囲まれていても老人は本質的に悲しいのです。
その原因は若い時から親しんできた知人や恩人が次から次へと亡くなって行くからです。
特に今日思いついて悲しくなった理由は、昔よく読んだ小説や伝記の作家がいつの間にか亡くなってしまったことです。
井伏鱒二、獅子文六、内田百閒、志賀直哉、三島由紀夫、檀一雄、山本周五郎、遠藤周作、開高健、新田次郎、中里恒子、吉村昭などなど。それからヘルマン・ヘッセやトーマス・マンの翻訳家の高橋義孝など。みんな、みんなとうに旅立ってしまったのです。
そして松竹映画や東映や日活の映画で活躍した銀幕のスター達もいなくなったのです。
映画だけではありません。テレビで活躍した植木等や寅さんの渥美清が亡くなったときも寂しい思いをしました。最近は大滝秀治も亡くなりました。
昔憧れていたスター達が意外にも自分の人生の支えになっていたのです。そんな意味で美空ひばりが亡くなった時の喪失感は忘れられません。
老人の悲しさの理由は昔憧れていたり、尊敬していた人々が次々に亡くなって行くことなのです。
その上、知らない間に昔一緒に遊びまわった幼な友達が亡くなってしまうことなのです。
先日、仙台の中学校の同期会に卒業以来61年ぶりに出席しました。名簿には数多くの故人の名前が連なっていたのです。一緒に遊びまわった友人もたくさん亡くなっていました。
それは文字通り衝撃でした。そこで追悼文を書き、このブログで、友だちへの追悼・・・疎遠だった私のお詫び という題目で掲載しました。
老人の悲しみはいろいろな人々が先に亡くなって行くことです。
その悲しみは家族も信仰もどうしようもできません。それは人間個人が背負った悲しみなのです。 そんな種類の悲しみがあるとは若い時には想像もしていませんでした。
皆様はそのような悲しみを味わっていらっしゃいますでしょうか?
晩秋の寂れた公園を独りあるきながら考えたことです。
家へ帰ると家内がいつものようにノホホンとした顔で出迎えました。悲しみも寂しさも感じないような人です。本当に人それぞれです。